左手に本、右手にはコスメ
私の分野の学術書、日本語文献なら3000円前後。
私がよく買うコスメ、ハイブランドでないデパコスリップ3000円前後。
残念ながら、私は金銭的に余裕があるわけではない。学費だってバイトで賄ってるし。学生の買う研究資料に研究費を出す慣例のない分野だし、自分が発表する学会だって自腹でホテルをとるし。(招待講演に行ったときはさすがにでた。)
そういうわけで、修士に入ったころは、「私は化粧品と本なら、本を買うの」と思ってた。3000円が手元にあったら、少なくともこれからの数年は本を選ぼう。そう腹をくくっていた。
化粧品と学術書を天秤にかけること自体に、なんだか一種の酔いを感じていた。
私の分野は、おそらく他の学問分野に比べても、女性が少ない。学会の名簿を見ても5%程度しか女性がいないように思われる。女性でテニュア職についている研究者なんて、片手で数えるほどしか知らない。
大学に行っても、私が顔を出す場所は当たり前に男性ばかりだ。だいたいの場所で、私だけが女で、そういう場にいると、いやでも私が女であることを意識させられる。
それまで私は自分のことを女だと積極的には思っていなかった。
トイレに行くなら女子トイレに入るとか、男女に分かれてくださいと言われれば女のほうに行くとか、その程度の性自認はあるけど、私は女である前に人間であって、女であることを特別重要だとも、自分のアイデンティティだとも思ったことはなかった。
おしゃれとか、装うことは人並みに好きだし、かわいいワンピースには心ときめくけど、○○女子とか、女性向けマーケティングに素直にはのれず(性自認が女だとはっきりしててものれない気もするが)、なんとなくいつも曖昧な性自認の上に自分を置いていたし、それで不自由なかった。
ある学会の懇親会に参加した際、同じ研究室出身の女性研究者と隣合わせた。他数人の男性研究者も輪に加わり、研究の世界にいる女性の話題に。その話の流れで一人の男性研究者が私の隣の女性研究者に言った。
「○○さんは女性らしい格好をしないですもんね」
女性らしい格好がなんであり、そもそもそんなものがあるのかは問うべきであるが、私はそのときの彼女のまぶたに、適当に買ったのではないだろうアイシャドウの美しいラメがのっていたのを鮮明に覚えている。
またあるとき、学部生の女の子に頼まれて院進学の相談にのった際に言われたことをよく覚えている。
「みみ子さんは、普通に女の子なのに、こうやってこの分野で学問をやってて、安心しました」
私は、この世界で女であることがいかなることであるのかを考えるようになった。
そのうちに、女であることが私のアイデンティティに強く同定されるようになった。
結果として、私は積極的に装うようになった。今までなんとなく、研究をやっているのだから見た目のことは後回しにすべきと蓋をしていたが、私が女であり、私が私であるためには、外見まで私を私の意図で満たしたいと思うようになった。
もちろん、装いは男女の別のないものであり、結果として私はこの道筋をたどり、装うことに至ったというだけの話ではあるが。
今では、本とコスメのどちらも同時に選び取れる強い私が、私の認める私であって、あるいは悩める私の指針なのである。
あ、最後に私の推しのコスメ紹介します。
化粧下地としてブラシで塗ったあと、ツヤ系のリキッドファンデやクッションファンデのせると、テカりすぎず、良いツヤになっていいです〜〜
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