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多田屋.多田家からみなさまへ

多田屋及び、多田家はこれまでたくさんの方々に支えられてきました。その中で、私が18年前に能登に来て多田屋の一員になろうとしていた時から支えてくれている方がいらっしゃいます。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、ザ・ノンフィクションーフジテレビ~花嫁のれん物語~に多田家は出演し、番組がきっかけで多田屋にそして多田家にもたくさんの方々から温かいお言葉をかけて頂くようになりました。番組プロデューサーの方や制作スタッフの方は、多田屋と多田家を一番近くで見守っていてくれました。18年前夫と義父は、専務と社長という立場でお互いを思い遣っているのに、気持ちが伝えられない。そんな口下手な2人の間に入り、伝書鳩のようにお互いの気持ちを橋渡ししてくれたプロデューサー。慣れない土地で友達のいなかった私の話し相手になってくれたプロデューサー。結婚の時も、出産の時も、世代交代の時も節目には必ず側にいてくれたプロデューサー。まさかこんなに長いお付き合いになるとは思いませんでした。でも今では多田屋、多田家の家族です。

私の好きな写真
ネクタイをうまく結べない専務(現社長)
を助ける社長(現会長)
18年前の写真  
社長が完全に息子の顔しています
同じ格好で夕景を撮影する父と息子

2024年1月1日能登半島地震から1週間後にプロデューサーから社長に連絡が入りました。「すぐには連絡出来なかった…。自分に何が出来るかと考えていました。やはり自分に出来る事は多田屋や多田家の記録を映像で残す事です。」と言われたそうです。奇しくも、花嫁のれん物語第一回放送は2007年能登半島地震後。今回の地震がきっかけで、また多田屋や多田家の様子が記録される事になろうとは…。震災後、初めて多田屋でカメラを回したプロデューサーは、想像を超える被害にすぐにカメラを下ろしてしまいました。
この半年何度も多田屋に来てくれましたが、宿泊場所もなく私たちも何も出来ず、進まない復旧&復興に疲れた顔をしていたプロデューサーの顔が印象的でした。今の多田屋のありのままが映像として放送されると思います。

7月28日(日)14:00~14:55
ザ・ノンフィクション花嫁のれん物語~能登で生きる家族の18年~

続く…

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