TADAYA 若女将

石川県能登半島にある和倉温泉多田屋・6代目若女将です。2024年1月1日16時10分に起きた能登半島地震を記録したいと思いnoteを始めました。能登の復興、和倉温泉の復興、旅館の復興を願いアップしていきたいと思います。

TADAYA 若女将

石川県能登半島にある和倉温泉多田屋・6代目若女将です。2024年1月1日16時10分に起きた能登半島地震を記録したいと思いnoteを始めました。能登の復興、和倉温泉の復興、旅館の復興を願いアップしていきたいと思います。

最近の記事

能登半島地震における旅館の記録55

あっと言う間に11月も中旬となりました。旅館の建物自体の動きはなかなか進みませんが、社長と私、そして統括部長もこの1ヵ月は石川県を出たり、多田屋にいらっしゃる方々に1月1日の事や今後の事などをお話させてもらっています。その間、スタッフ皆が旅館を守ってくれるので安心して私達は活動する事が出来ています。本当にありがとう。 10月27日 ボランティアデー この日はスペシャルゲストに永松真紀さんが登場!旅館の記録⑱でも紹介したマサイ族の第二夫人。多田屋とのご縁があり、以前に多田屋の

    • 能登半島地震における旅館の記録 54

      10月13日・14日 多田屋素敵なイベントに参加させてもらう 中島町のVilla della paceさん主催のマルシェに出店のお誘いを頂き、参加させて頂く事ができました。paceさんは社長や私も、スタッフもとても大好きな場所。スタッフは準備から運営まで頑張ってくれました!平田シェフは多田屋のイベントでもとても力になってくれていたシェフ。地震以降初めて会う、能登の人達との交流。 多田屋ブースにはなんと、多田屋OBOGがたくさん集まってくれていた!色んなお客様との交流はもちろ

      • 能登半島地震における旅館の記録 53

        社長の友人でもあるプロのカメラマンが、東京から多田屋を訪ねて来てくれた。スタッフの皆んなも彼が大好き。それは愛ある写真を撮ってくれるから。その彼がドローンで今の多田屋を撮影してくれた。多田屋は海と山に囲まれた宿。本当に美しい場所に多田屋がある。外観からは地震があったとは思えないが、現実は厳しい状況だ。でも多田屋はやっぱり能登にあるべき宿、能登の一部であり続けたい。 旅館の記録㉚では2025年秋にOPENを宣言していた多田屋。前に進んだかと思えば壁にぶつかってしまい、立ち止ま

        • 能登半島地震における旅館の記録 52

          10月3日 若女将 仙台日帰り 実はこのnoteがご縁で仙台に行くことになった。これからの和倉温泉の復興に関しては社長が中心として動いているが、私はこのnoteを通して地震直後からの旅館動きや能登の事を知ってもらおうとしている。noteに残した事しか話せないが、自分の言葉で伝える事も大切だと思い仙台に行くことにした。仙台、金沢から3時間ちょっと。日帰り出来る距離にびっくりした。 仙台市や観光関連事業者方々の防災への取り組みや、危機管理に対する姿勢に驚いた。ここまで進んでいる

          能登半島地震における旅館の記録 51

          10月になった。地震から9ヶ月が経ち、今は地震より雨の心配ばかり…。 ここ最近、どんな記事を書けばいいのかと悩んでは、下書きを保存したり消したりの繰り返し。でも多田屋スタッフの頑張りは伝えたい。そしてみんなが、大好きな能登の為に何か出来ないかと考えている姿は残していきたい。 今回の水害で多くの仮設住宅が被害に遭った。当館としても使えるお部屋があるならば避難して頂きたいと思ったのだが、防災の観点から(スプリンクラーや防火扉が機能しない、建物自体に危険があるなど)受け入れが出来

          能登半島地震における旅館の記録 51

          能登半島地震における旅館の記録㊿

          50回目の投稿にどんな記事を書こうかずっと考えていた。サプライズ的な事が起こるかもしれない、旅館として、皆さんに嬉しい報告ができるかもしれないと信じていた。でも、その真逆の事が起きてしまった…。ニュースで流れる映像を見たくない、現実を直視出来ない。地震の時は能登の被害状況や皆の安否が気になって、ニュースをずっと見ていたけれど、今回は見たくない。知りたくない、考えたくない、そんな感じだ。 9月21日 輪島市と珠洲市、能登町に大雨の特別警報を発表 地震で地盤が緩んでいる上に、観

          能登半島地震における旅館の記録㊿

          能登半島地震における旅館の記録㊾

          9月12日 久々の休暇 保育園に休暇を頂き、友人とランチに行く。友人とランチなんで震災後、初めてかもしれない。私は普段食事に行っても写真を撮ったりしない。女子力なんてものを持ち合わせていない人間である。だけど今回は特別。多田屋スタッフに行ってきたよ!と報告したいから!だってシェフは多田屋ファミリーの1人!もうすでに何人かのスタッフはシェフの所へ。2回3回行ったスタッフがいるのには驚いた。 お店は、お客様で賑わっていた。シェフも奥様もとても忙しそう。前菜をひと口。シェフの味だ

          能登半島地震における旅館の記録㊾

          能登半島地震における旅館の記録㊽

          日中はまだまだ暑い日が続いていますが、朝晩は確実に秋の風が吹いている能登です。ニュースを見ていても、震災後まだ会えていない奥能登の人達が前に進もうと頑張っている姿を見る日が増えたように思います。 9月3日 ボランティアデー 日々、ボランティア内容も進化している。個々の接客のスキルアップ以上に専門的な知識を使った片付けや備品の管理、館内の清掃。多田屋スタッフ無敵になりつつある。 9月9日 ボランティアデー&物産展に参加 この日はスタッフはボランティアチームと物産展参加者チー

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          8月5日 ボランティアデー 8月は5日のみボランティアデーとし、12日・19日・26日はボランティアも全体集会もお休みにして夏休みとしました。 8月13日 能登半島地震後の初盆 多田家もお墓参りに出かけました。あちこちブルーシートがかけられ、墓石が無い中でも、たくさんのご家族がお墓参りに来ていらっしゃっていました。「こんにちは~ご無沙汰しております」多田家のお墓の周りも知り合いばかり。社長は、あの世に行っても、あちこちに同級生いるから寂しくないと言っています。それにしても、

          能登半島地震における旅館の記録㊼

          能登半島地震における旅館の記録㊻

          時系列が少し飛ぶのだが、素敵なご縁を頂いたのでその記事をUPしたいと思う。立教大学の学生さん13名がボランティアに来てくれた。当館会長&社長が立教大学出身という事もあるが、本当に貴重な時間を頂いたと思う。ボランティア=肉体労働ではない。受け入れる側としても大きな責任と任務があると社長は言う。一番大切にすべき事は、ボランティアと地域をつなげる努力を受け手側が最大限にすると言う事だ。 8月19日 立教大学学生さんとのボランティアデー まずは、学生さんと多田屋スタッフで地震が起

          能登半島地震における旅館の記録㊻

          能登半島地震における旅館の記録㊺

          8月8日に宮崎県沖で発生した震度6弱の地震により、気象庁は「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」を発表して、国民に注意を呼びかけました。またあちこちで大きな地震が来るのではないかと心配でしたが、みんなの意識が高まり、それぞれに最大の備えが出来たならば良かったと思います。15日で呼びかけは終了しましたが、日本は地震大国。怖がり過ぎることなく、萎縮することもなく、防災意識は高く持ち続けたいです。 7月22日 全体集会 千葉からスタッフも出勤してくれて賑やかにな日になりました

          能登半島地震における旅館の記録㊺

          多田屋スタッフは元気です!②

          全国各地、猛暑日が続いております。 多田屋もスタッフが毎週月曜日に集まってくれていますが、熱中症に気を付けて!体調を崩さないようにね!が合言葉です。社長は毎日、会議と来客で脳みそがパンクしそうだと言っています。私は保育園の夏祭りで盆踊りをしたり、プールの監視員をしたり、子供達とドッチボールをしたり…。とにかく、体を張って頑張っております! もう少ししたら、多田屋スタッフもはじめて経験するお盆休み。毎年、息つく暇もなかった8月。お客様の事を第一に考えていた8月。今年は、それぞ

          多田屋スタッフは元気です!②

          能登半島地震における旅館の記録㊹

          7月4日 多田屋坂の工事 この日は猛暑日になると天気予報で言っていた。朝から多田屋玄関付近で重機の音がする。私はこの日も保育園勤務なのだが、ずっとこの工事を見ていたい気持ちだった。重機の音がとても心地良い。震災前はあまりそんな事は思った事はなかったが、大きなトラックや重機を見ると前に進んでいる気がしてホッとする。ましてやこの日は多田屋の玄関前。 業者の方々は、坂の亀裂は砕石を入れても入れても埋まらないと難儀されていたとの事。能登のあちこちで工事をしてくれている業者の皆様、支

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          多田屋.多田家からみなさまへ

          多田屋及び、多田家はこれまでたくさんの方々に支えられてきました。その中で、私が18年前に能登に来て多田屋の一員になろうとしていた時から支えてくれている方がいらっしゃいます。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、ザ・ノンフィクションーフジテレビ~花嫁のれん物語~に多田家は出演し、番組がきっかけで多田屋にそして多田家にもたくさんの方々から温かいお言葉をかけて頂くようになりました。番組プロデューサーの方や制作スタッフの方は、多田屋と多田家を一番近くで見守っていてくれました。18年前

          多田屋.多田家からみなさまへ

          能登半島地震における旅館の記録㊸

          6月24日 全体集会 この日は皆でリフレッシュをする日とスタッフが企画してくれた全体集会。多田屋スタッフ、企画力も半端ない。テーマは~心と体をリフレッシュ~お正月餅つきリベンジ!前回のnoteで多田屋自慢のロビーを皆で大切に使いたいと記事にしたが、この日はまさしくそれを体験&体感する日となった。 毎回同じような話にはなるが、社長の想いをスタッフに伝える。NEXT多田屋はどうありたいか、そしてどうあるべきか、社長発信ではなく、チーム多田屋で考えていこう!今はパズルのピースを集

          能登半島地震における旅館の記録㊸

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          6月10日 ボランティアデー 客室の清掃、布団干し、各パントリーの片付け、売店の整理、棚作成、まかない&蟹の身出し、庭管理班にわかれて作業。 売店で1月1日からそのままの商品を、一つ一つ丁寧に確認してくれているスタッフ。多田屋の売店に置かせて頂いていた商品はどれも自慢の品ばかり。スタッフは社長や私が指示をしなくても自ら考え自分達のやるべき事を組み立て、ボランティアデーに活動してくれている。最近は私よりスタッフのほうが、ずっとずっと多田屋の事に詳しいのではないだろうか。 あ

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