能登半島地震における旅館の記録⑦
避難訓練、必ず皆さんしていると思いますが、避難訓練して下さい。
多田屋も定期的に和倉消防署の方々の指導の下、避難訓練をしていました。
その避難経路と時間ではダメ!と言われ、やり直した事もあります。
配役を決めて、毎回皆で真剣に取り組んでいました。
消防署に方には 避難訓練は訓練の訓練 とよく言われていました。
多田屋も1月14日(日)に消防訓練の予定でした。
~あるスタッフ達の記録より〜
地震当日、自分のいた場所の5階のお客様を避難誘導。「避難訓練時の確認を終えた部屋に付箋を貼る」と思い、付箋を取りに行ったら棚が倒れて入れない状態。緊急地震速報の音と共に館内に響き渡る非常ベルの音。お客様が慌てて廊下や階段などで転倒して怪我をするのではと思い、数分後に非常ベル音を停止。そのおかげで当館スタッフの声がお客様に行き渡りお客様も落ち着いて避難出来たのだと思う。けたたましい非常ベルの音から身近にいるスタッフの声や統括部長の落ち着いた館内放送が良かったのではないかという彼の見解。防災担当を任されている彼は、その後の多田屋スタッフの連携プレーは普段の避難訓練の賜物であり、素晴らしかった!と言っている。
再び1月2日に…
15:00 社長と共に和倉の街から多田屋に戻る。スタッフには粗方の和倉温泉の状況を話す。実はこの時、2名のお客様は富山のご友人の迎えを小学校で待つ。他1名様のお客様だけ避難所にもう一晩泊まる事になってしまっていた。この方は年末から12連泊する予定だったお客様。1月1日はちょうど6泊目だった。リピーターさんでもあり、多田屋スタッフはみんなそのお客様の顔を覚えていた。そのお客様を避難させている時の状況がスタッフの証言として残っている。
~あるスタッフ達の記録より〜
そのお客様は腰を抜かしていた。手を取ったが歩けない状態になった。お部屋の近くにいた調理場のスタッフがお客様をおぶって誘導。そこに、何日間もそのお客様を担当していた客室係が合流。お客様の姿を見て、「よ かった…お⺟さんの顔⾒られて本当によかった…よかった…」と⾔って⽬を押さえていた。 そこから客室係がお客様をおぶって駐⾞場まで避難。
ここで定点カメラの映像をみると、そのお客様が駐車場に来た時に、車イスを持ってくるスタッフ、布団やひざ掛けをかけるスタッフ、スタッフ皆がそのお客様を取り囲む姿が残っていた。
15:10 避難所に残っている、1名のお客様を多田屋に連れて来たいと私が申し出た。多田屋も決して安全ではないが、あのお客様を避難所に一人にしておくわけにはいかない。一緒に寝泊まりするであろうスタッフも同意してくれた。私はご家族に連絡を取り、お客様は無事である事、小学校に避難して頂いていたが、大半のお客様は避難所を出られたのでお一人になってしまう。多田屋スタッフと一緒にいたほうがいいかと思うので安心して頂きたい。と伝える。息子さんが東京から迎えにこちらに向かっているとの事。道中くれぐれもお気をつけていらして下さい。
15:57 石川県能登地方 4
15:48 金沢に向かっている多田屋バスは宝達の無印良品周辺。迂回している模様。(多田屋から金沢まで丁度半分、やはりいつもより時間がかかっている)
16:36 ○○さま、和倉小学校避難所より富山から迎えが来たとお客様から連絡あり。
ひとまずお客様の目途は立った…。でも金沢駅に送迎中のお客様が心配。
同行したスタッフ3名の事も心配。多田屋に残ったスタッフはロビーに布団を運んだり、お客様の為に簡易ベットを作ったり。黙々と自分たちの出来る事をしていた。私はただ、自分のデスクで座っていた。
そう!このぐらいから地震直後に安否を心配してくれていた人たちに連絡を取る。でも、あまり言葉が浮かばないので、定型文みたいなのをコピペして送っていた。その頃災害対策本部は、多田屋ハザードマップを完成させていた。
17:30 金沢送迎班から 金沢駅西口到着 お客様送迎完了の報告あり。よくやった!よくやったではないか!社長が何か温かい物でも食べてくるようにと伝える。
17:50 ネットで目を疑うようなニュースが入ってくる。私は能登半島地震の情報をネットニュースで確認していた。
羽田空港での飛行機の衝突事故。これは日本での出来事なのか?ドラマなのか?私は9.11米国同時多発テロの映像がフラッシュバックした。
それと同時に、2024年の元旦と2日でなんという事が日本で起きているのか!ありえない…日本はどうなってしまうのか。この飛行機事故の結末によっては能登半島地震の事なんてニュースからなくなり、私たちはますます孤立してしまうではないか…。
18:05 乗客、乗務員全員無事脱出
ホントに?本当に全員無事なのか?誤報なのではないだろうか。最初は本当に信じられなかった。379人の方が全員無事。奇跡だ。本当に良かった。地震も怖い。怖さに優劣もなにもないが、この事故に遭遇された方は想像を絶する恐怖と戦われたと思う。本当に、本当に御無事で良かった…。ここで、おこがましいかもしれないが、JALのスタッフの皆さんと多田屋のスタッフ皆の姿が被った。後の会見では、まずお客さまのパニックのコントロールをしたとの事。お客様が客室乗務員の方の指示に従い冷静に行動していたとのこと。まさしくこれに尽きるのではないかと思う。多田屋も今回無事に避難できたのはお客様の協力があっての事。本当に冷静で落ち着いて行動して下さっていた。あらためてお客様に心から感謝申し上げたい。
ただ、海上保安庁機は、能登半島地震の支援に向かおうとしていた。私はこの件に関しては今も何も言葉が見つからない…。
20:00 金沢送迎班、今だ未着。私は自分のデスクでずっと待つ。本当に無事に帰って来てくれ。この時点で体に感じているのか自分が揺れているのかわからない余震は200回近く。社長がずっと事務所内をウロウロしている…。災害対策本部の3人は黙々と作業を続けている。その横で遅くないか?大丈夫か?とずっとそわそわしてる我が夫。余りにも見かねて私が一言、【社長が何か食べておいで!と言ったからきっと3人で何か食べているんじゃないですか?少し落ち着いて!】多分、もう少しきつく申し上げたと思う…。
金沢送迎班お願いだ!社長を落ち着かせるためにも、早く顔を見せてくれ!
続く…