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能登半島地震における旅館の記録⑥
1月24日
今日から息子の小学校がはじまった。和倉小学校が避難所になっている為と一部建物の被害もある為、娘の通う能登香島中学校に通う事になった。
午前中が中学生、午後からは小学生。送り迎えが必須。私と社長は行ったり来たり。送り迎え出来るだけ有難いと思う。自分たちが父親であり、母親であると今実感できる唯一の時間だ。心から2人の存在に感謝する日となった。
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再び1月2日に…
お客様を和倉小学校からお見送りした後、和倉温泉街を社長と歩く。社長曰く、2007年の能登半島地震の時は目立った建物の被害は少なかった…。どちらかというとお客様の受け入れ可能であったのに、風評被害でお客様がいらっしゃらなくなった。その時とは比べ物にならない。建物を含めて和倉温泉街がぐちゃぐちゃなのである。お客様を受け入れるどころではない。実は私は多田屋に嫁に来た当初、まだ大人しいふりをしていた為、何をやっていいか分からず社長の勧めでblogを書いていた。まさかまた地震で自分がこのような記録を残すことになるとは。2024年に再び能登半島地震が起こるとは…。
残っていた 能登ノート
2007年能登半島地震、2024年能登半島地震。被害状況は雲泥の差。2007年若女将、2024年若女将。旅館での私の態度も雲泥の差。
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今の能登半島を象徴しているように見える
能登半島がバキッと折れてしまった…
1月2日の早朝、福井の若女将から電話があり話をした。実は彼女、福井から若女将LINEでメッセージをくれていた。(1月1日・17:09) おそらく誰も返答しないLINEに不安だったと思う。次々に流れるニュースを見て愕然としたに違いない。彼女も和倉温泉を愛する若女将の1人だ。お嫁に来たときはお互いにあまり会う機会もなく、話した事がなかった。今じゃ、この業界(旅館業)になくてはならない人であるし、戦友の1人だ。彼女から輪島の若女将の無事も確認する事が出来た。よかった…。
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~ここで多田屋社長.多田健太郎の記録~
最初の地震発生:少し大きめの地震の為、お客様に安心してもらう為に、震源地や震度・津波の有無を館内放送で流すように予約課に指示。
本震:2007年の能登半島地震に比べて段違いに揺れる。これはまずい!相当な被害が出る!(お客様や従業員の怪我・館の損害)目の前の壁が剥がれて倒壊。スタッフの避難を!スタッフを避難させ駐車場に出ると、若女将が避難する人に叫んでいた。若女将は元気だ!これで私(妻)の安否確認は終了。案の定、私と同様子供たちのことはすっかり忘れていた。
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社長の目の前で倒れた事務所の壁
一度事務所に戻り、統括部長と打ち合わせ。統括部長が開口一番、『何を優先させますか!それによって今後の対策とスタッフに指示を出します』と言ってきた。一瞬社長はこれは、とんち?なぞなぞ?と思ったらしい。お客様のこと以外に何か選択肢があるのか!?スタッフ?館の被害?
【お客様でしょ!】と答えたら、『わかりました!』とすぐに対策本部を立ち上げ統括部長が指揮を執ってくれた。統括部長のその時の顔は長年の知り合いではあるものの、社長には見せたことがない真剣な表情だったそうだ。
ここで社長は、あの時自分が【それぞれの家族だ!】と言ったら統括部長はどんな指揮を執ったのかな…と少し笑った。
指令系統が分かれると良くないと思い、統括部長に本部を任せもう一度駐車場へ。その時はどんどんスタッフとお客様が集まり、不安で呆然としている人、より高くへ避難するために山に登り始める人。まだ統制がとれていなかった。
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雪が降ってなくて良かった…
若女将が【旅館の中には入らないで!】と叫んでいる時に、一人のお客様から持病があるので、薬を取りに行きたいと声を掛けられる。社長は私の許可を取りに来た。私もその時の事は覚えている。【う…ん…いいでしょう…気を付けて!】若女将に許可を取る社長。妻に許可を取る夫。これまた私たちの日常。社長は、お客様と館内に入る。『怖かったですよね…』とにかくそのお客様には持病があるとわかっていたので、社長は落ち着いてもらえるよう、持病が悪化しないように、とにかく安心させようと必死だったそうだ。
館内から戻ると、すでに駐車場にはホワイトボードやマイク、布団にストーブが用意されていてスタッフがお客様の安否確認を進めていた。素晴らしい!そして社長は自分の役目として次の事を思っていた。
・最終責任者として、現場で難しい判断をして責任を取る
・スタッフがパニックになり、勝手に動き出さないようにする
・お客様から、責任者を出せ!と言われた時の混乱拡大防止をする
・災害本部が立ち上がっているので、皆の動きを本部管轄に誘導する
・現場で必要な情報共有、必要ない情報は拡散しないようにする
・特定のスタッフに負荷がかかり、潰れてしまわないように気を配る
結局、災害本部が優秀でほとんど自分が出ていく必要はなかった。ありがとう!24日経った今もそれは続いている。私からもスタッフのみなさん、本当にありがとう。社長を見ているとこういう時こそ、経営者のトップは余裕を持ち穏やかでいるべきだと思う。
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24時間前に地震があったとは思えない
翌日、再び統括部長がとても言いにくそうな顔で社長に切り出した。『旅館の被害状況がはっきりしない中ですが、今後の想定としてどうお考えですか?』統括部長は旅館が再開できない可能性も考えて、社長!心臓を叩いておいてください、最悪の想定をしておいて下さい、という事を優しく切り出してくれたのではないかと社長は振り返る。
【旅館がもし使用できなくて廃業する事になっても、紹介で他の宿を運営する事になっても、多田屋が再建できる状況だとしても、スタッフさえ無事にいてくれたら何をやっても成功できるイメージはあるよ!】
すでに社長が色んな可能性について検討している事を確認出来て、統括部長が地震後はじめて見せる、少し安心した表情が印象的だったそうだ。
そう、私たち多田屋は決して旅館という形でなくとも、スタッフが元気で君達がいてくれたら、この能登でお客様や地域の人たちに喜んでもらえる事がきっと出来るんだ!と確信している。映像見ていたらまた泣けてきた…。
続く…