能登半島地震における旅館の記録㊱
5月8日 護岸応急処置と海際の部屋の修繕対策
外構屋さんも被害の酷さに呆然としていた。
海側客室の庭1つあたり10tダンプ1台は土砂が必要で、一輪車で運ぶか、ベルトコンベアを使うか、船を使うかで試算してみるとの事。土嚢袋を沈めてからじゃないと土砂で埋められないが、護岸上段に先に土嚢を積んでしまうと運び込めなくなるので、タイミングが難しくなるので日程や復旧に向けての各業者の段取りが大切になってくる。
同日、嬉しい事もあった。洗い場の水とお湯が出るように配管の工事、ガス給湯器のガス管を修理。シンクの水とお湯がでるようになり、食洗機の電源を入れて試運転。立ち会ったスタッフからは、徐々に温かくなる配管や貯湯槽に泣きそうになったと報告があった。
これでやっと1月1日から調理場や各場所にある食器など色んな物が洗える。
業者の皆様、本当にありがとうございます。
5月9日 大型新人入社
こんな時ではあるが、実は多田屋に新入社員が入った。彼は5.6年前に勉強の為にと一度多田屋を退社した。東京オリンピックが終わった頃に戻ってくるという事であったが、コロナでオリンピックが延期、なんだかんだ色んな事が先延ばしになっていたのと、彼の気持ちや状況もきちんと把握出来ていなかった。
しかし昨年、社長の所に「お話が…」と連絡があり、社長もとりあえず、気楽に遊びにおいでと返事した。彼は多田屋のスタッフからとても愛されていたので、皆で再会を楽しみにしていた。
私たちは気楽に待っていたのだけれども、スーツで現れ、どうしたの?というぐらいに彼は緊張していた。だいぶ期間が空いてしまったので、彼は再びチーム多田屋の一員として採用してもらえるのか、不安でいっぱいだったようだ。今まで離れていた期間を埋めるように社長やスタッフとも話をし、来年の5月に再入社という事になった。しかし今年の1月1日、旅館はすべて停まってしまい、彼の採用もどうなるかわからなくなった。社長は多田屋の現状と、先が見えず、復興までに途方もなく時間がかかる事。会社としてスタッフが満足できる雇用は出来ない事など、厳しい状況を説明した。彼の返事は、「チーム多田屋の一員になりたいです。復興に向けて一緒にやっていきたい。自分は多田屋の力になる自信があります!」という返事だった。彼は優秀なので別の道も考えるだろうと思っていた。だから彼の力強い言葉が本当に嬉しかった。
5月10日 和倉小学校5年生と一緒に田植え
今回の震災で、毎年恒例の和倉小学校との田植えは出来ないかもしれないと思っていた。でも、小学校からやります!と連絡があり、急ではあったが、多田屋スタッフも集合し、子ども達と一緒に田植えをする事ができた。今年の和倉小学校5年生、とても元気で可愛らしい子ども達ばかりだ。
5月13日 月曜定例 多田屋ボランティアデー
スタッフ達が自ら考案してくれた、毎週月曜日はボランティアデー。皆で集まって色んな事をしてくれる月曜日。私は保育園のお手伝いがあるので参加はしていないが、何も心配することなく安心して保育園の子供達に向き合える。スタッフには感謝しかない。そしてちゃんと作業報告してくれるのが素晴らしい。この日は、調理場にあった、食器や調理器具などの整理、
洗い場の小物類の洗浄、館の掃除を行ってくれた。
記事をUPしていて思う。
少しずつだけど前進していけるのは、こんな状況でありながら多田屋に残ってくれたスタッフがいるから。何度も何度も言うけれど、本当にありがとう!
続く…