見出し画像

腹はくくった。後は野となれ山となれ。

殆どの留学生が帰国する中、自費留学中の子供達二人をアメリカに残すことに決めた、そしてその後の我が家の数ヶ月はどうだったのか?

2020年3月4日 羽田に到着 とにかく大阪まで戻れる・・・
2月3日から3月4日まで、たまたま私は出張で、住んでいたシリコンバレーに戻っていた。滞在中は忙しい息子と夕飯を食べたり、ロスに住んでいる娘が一泊2日の弾丸で会いに来てくれて一緒にご飯食べたり飲んだり・・・そんな中、日本での感染者やクルーザー内でのコロナ感染者がどんどん増加し、小中高校が閉鎖される中、当時は日本に帰国する方が怖いくらいだった程、まだシリコンバレーは平和だった。トイレットペーパー、お米、パスタ、除菌剤なんかはちらほら売り切れていたものの、それでもまだ対岸の火事的な雰囲気だった。『日本は大変だね』と現地の友達とも話していたし。とにかく私は渡航禁止令が出ないか?飛行機がキャンセルされないか?とドキドキしながら帰国の日を迎えた。実際にはアメリカン航空が日本行きを欠航し、全日空も関空行きを欠航する予定になっていたから。子供達はとにかく私のことを心配してくれていたし、日本にいる主人や、祖父母のことも心配していた。

帰国して、とりあえず自主的に隔離生活をスタートしながら、アメリカの様子をチェックしていたら、アマゾンに勤務するママ友が在宅勤務になったと連絡をくれた。ツイッターも在宅勤務が決まるなど、そろそろカリフォルニアも動きがあるかもしれないと思った。そうこうしていたら子供達から連絡が来た。カリフォルニア、しかも死者や感染者の最も多いサンタクララ郡にいる息子曰く、特に何も変わりないけれど、トイレットペーパーが見当たらなくなってきたと。ロスに住む娘はトイレットペーパーがどこに行っても売り切れていて焦っていた。そうこうしていたら、シリコンバレーから先にロックダウンが決定して、ロスもそろそろロックダウンになるかもと娘から連絡があった。

まず日本にいる私達親がした事

とにかく感染しないよう十分注意してもらうしかない。なるべく出歩かないで済むように工夫してもらう。それから留学生は学校の保険に入っているので、保険がコロナに対応しているか速攻調べるように伝えた。娘の学校は大規模校なので、留学生の保険にはコロナがカバーされているとウェブページに出ていたものの、息子の学校はコミュニティーカレッジなので案内もない。自分で契約書を見つけてもらって確認。明確にカバーされているとは書いていない。エボラ出血熱などの既存の疫病の名前はあっても、コロナは新しい疫病なので、学校が落ち着いた電話して聞いてもらうしかない。次に学生に取ってパスポート同様、むしろ何よりも大切なI-20(Student and Exchange Visitor Program認定校がフルタイムで申請者が就学することを承認したことを証明する書類)の期限がいつきれるのかを確認してもらう。これが切れたら不法滞在者になってしまう。こんな状況だから、万が一切れても対応してくれるかもしれないものの、自分達でもバックアッププランを考える必要がある。それから我が家の貯金はいくらあるのか再度確かめる。これから何ヶ月子供達の家賃が必要で、学費がいつ、いくら必要で、車の保険は・・・など、家族で情報シェアできるよう損益計算書のようにしてGoogle Spredsheetを作成し、それぞれ子供達必要金額と時期を書き込ませた。それからアパートの契約がいつまでだったかの確認。娘は5月末で契約が終わるので、場合によってはロックダウン中の引越しになる。その後は今後の学費は下がるのか?ビザ関係で新しくアナウンスはないか?車の保険が安くなるらしい?ので確かめさせる。その上で
1)このまま5月末までオンライン授業になった場合
2)夏まで自宅待機になった場合
3)年内オンライン授業になった場合
について話し合った。そもそも交換留学ではないので、日本で所属する大学に帰国を強制されることはなかった。それに実際留学生は寮に入っている場合も多く、学校が閉まると寮から出ていかなければならない。幸い子供達はそれぞれハウスシェアをしていたので、居場所が無くなると言うことはない。そうこうしているうちに『3月25日までに帰国しなければ、2週間の隔離状態になる』と日本が決定した。二人で一緒に帰国してきても、成田か羽田でストップするので、私が関西から車で迎えに行って、自分達3人が隔離するか、主人を隔離するかを選ばなければならない。

オンライン授業になったら、アメリカにいても日本にいても同じ。帰国すればご飯もある。何かあっても保険がある。始めは子供達もあまりのショックに帰国した方が良いかもしれないと話していたものの、結局帰国しても家賃は払うし、車の保険もある。飛行機代も二人分かかるし、往復チケットを取るのも先が読めないので難しい。オンライン授業を受けるにしても、帰国したら時差で大変になるし、日本語でしか話さなくなるので英語力も落ちる。何より帰国するのはいつでも出来るものの、一度帰国したら今度はアメリカになかなか戻れないかもしれないので、二人はそのまま残る事に決めた。最悪のケースになったら帰国する』そう子供達は決めて、それを全力でサポートするしかないと。そしてこのまま二度と会えなくなるかもしれないと言う最悪の事態も考えて、覚悟を決めた。大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、本気で腹をくくったのは確か。中々精神的にキツイものもあったし、覚悟を決めても日々心配で、家族LINEに毎日連絡する様に伝えた。まずは免疫力をあげてもらうしかない。それから主にちゃんと食べているのかが気になったので、できれば作ったご飯の写真を送るようお願いした。

画像1

息子作:量が半端ない

画像2

お洒落な洋食なんかも作っていた

画像3

こちらは娘作:日本食材が中々手に入らない

全体的に茶色いご飯で、野菜を追加するようにアドバイスしたけれど・・・二人とも限られた資金の中で頑張ってくれていた。一日2食にして自炊すればコストカット出来ると。美味しい物を送ってあげたくても、荷物だっていつ到着するか分からない。とにかく楽しんで、頑張って生活してくれることを望んでいた。アメリカ母子留学中、いかにコストカットして生き延びるかを体験してきただけに、中々逞しく育っている。

ロサンゼルスで映画学科にいる娘がした事

娘は大学キャンパス隣の一軒家をハウスシェアしていた。コロナの影響で大家さんが中国から帰国できないと言う状況下で、ガス漏れが起こってお湯が出ないという事態が。タイミング悪い。中々修理も来なかった。そして何よりなんとなく街の治安が悪くなっているような気がするのと、日用品が売り切れているので、ロックダウンになる前フレズノというカリフォルニアのちょっと田舎に避難させてもらう事に決めたと。ハリウッドのお膝元にある大学に通っているからこそ意味があるのに、オンライン授業になったらどこに住んでも一緒だから。その場合車は置いていくので、路駐ではなくしっかりガレージに入れてもらえるよう手配。車のガラス割って中のものを盗むなんて言う事は日常茶飯事なので、コロナの影響を考えると治安も悪化して、何が起こるか分からない。必要最低限の物を持って移動した。一人ではなかったので、逆に安心。日本食スーパーが無いのでしんどいやろうけれど、犬、猫、インコ、亀なんかもいて癒されていたよう。写真や動画も良く送ってくれた。とりあえず姉はしっかりしているし、田舎に行ったので一安心。それにインスタやTwitterで情報発信しているので、状況は分かる。映像作ったり、政治について考えたり、色々頑張って日々を楽しんでいた。

サンタクララ郡に残ったコミカレに通う息子の様子

幼い時は本当に手を焼いた息子だったので、19歳になっているとはいえ心配だった。SNSは滅多にアップしないし、娘ほど連絡は来ない。なので最近当時の様子を振り返ってインタビューしてみる事にした。

まずは3月中旬にロックダウンした日、どのようにその情報を知ったのか?というとBreaking Newsが流れてきたから。携帯に登録している緊急速報で、今回コロナの影響で自宅待機しなければならないという情報が送られてきたと。ちゃんと速報を登録しているなんてしっかりしてきたな。速報を目にした瞬間『とりあえず何もできへんやん!?WGIどうなんの?どれくらい長いん?髪の毛切りに行かれへんやん!?!』っとなったそうで。その時の息子は、とにかくセミプロ的なマーチングバンドに燃えていてDCI(Winter Guard International)という大会が4月に控えていて、その大会やその為の毎週の練習がどうなるか?が一番心配だったと。(勉強ちゃうんかい!ってなりますが)

まず考えたのは、食料がスーパーから消えるとは思わなかったけれど、備蓄しておく必要はあるな・・・という事で家の備蓄食品を確認したらしい。我が息子ながら、これもなかなかちゃんと考えている。食べ物が無くなるのは死活問題やもんね。それから自分の銀行口座の残高を確認して、どれくらい入ってるか、家賃とかも払わないといけないから何を優先すべきかを考えたと。家賃、車の保険の代金(コロナの影響で少し戻ってくる)などなど自分で計算してみたら、意外と金額残ってんなと。いやぁ〜自分が19歳の時、これだけ考える事出来たやろか?さっきも言いましたが、ほんまに手のかかる息子やっただけに、物凄い成長したなぁ〜とオカンは嬉しかった。

そして当時はすでにトイレットペーパーが品薄になっていたので、大丈夫か?と確認していた。結果やはり売り切れ。それでどうしたかと言うと・・・実は近所の大型スーパーは24時間営業している。私が一緒に留学していた時も、深夜に時々家族3人で足りないもの買い出しに行ったりした。そのスーパーに行ったらしいけれど寝坊してはいけないからと、夜更かしして朝6時前に到着。朝一で買いに行く。なぜか?理由は24時間スーパーに深夜2時ごろストックが届いているのを知っていて、朝イチなら売り切れていないと読んだから。そして大正解だったらしい。念の為一人一個しか買えないのと、せっかく早朝まで夜更かし?したので、その足で他の大型スーパーにも行ってもう一つ買う。ロサンゼルスにいる姉の為にもちゃんと買ってあげるあたりも、なかなか気が利く。

ロックダウンで大学はどうなったのか?街のロックダウン一週間前にはまず大学が閉まって、翌日からオンライン授業に。すぐZoom授業が始まる。さすがシリコンバレーにある大学、対応が早い。学校のオンラインプラットフォームにアクセスしたら、そのまま授業が受けられるような仕様になっていたと。基本既存の授業と同じ時間に始まっていたので、スケジュール的にはそのまま。Financial Accounting、Macro Econ、College Algebra、Music-MIDI Electronicを取っている中、Music-MIDI Electronicの授業では、鍵盤で打楽器演奏をするらしく、ドラムセットみたいに叩いて、メロディー作っている。おそらく先生は『何でやねん?!』レベルに叩いてるから驚いてるやろな〜と息子。少しでも楽しみを見つけてくれていて良かった。

オンラインになって変わったことは?といえば、場合によっては授業が短くなることもあるのでラッキーだと。そして教室より集中しやすくなったそう。パワポでシェアしていた場合、普段よりゆっくりめに見せてくれるのも嬉しい。グループワークは無くなった。テストもオンラインなので、調べる事ができて簡単になった。とにかく内容が理解できていれば良くなった。カメラオンを強制はしないものの、授業途中で顔を見せるよう要求する先生もいるらしい。そして息子はある日、コロナ菌の写真をバーチャル背景にしていたのを忘れて授業に出席し、先生をビビらせたらしい。いかにも彼らしいな。

シェアハウスしている中で、基本家にあまり居ない前提で生活してきたから、今自宅待機になって大変な事はないのか?いままで通り、6人でハウスシェアして暮らしている。特に変化なく普通に暮らしているし、それぞれイヤホンつけて授業をやっているので不便を感じない。変化があるとしたら、夜型人間になるなど生活リズムが崩れている人もいること。そういう自分も春休みは12時に起きて4時に寝ていた。休み明けはしっかり9時に起きて1時半には寝て、規則正しく。1日のスケジュールは、午前中宿題、午後ドラム叩く、6キロジョギング、叩く、ご飯作って食べる。ちゃんと規則正しくしないといけないと自分で思ったらしい。すご!信じられん。

生活ルールみたいなものはあったのか?4人でトイレをシェアしてるので、トイレットペーパーは何となく自分(息子)が管理。トイレ掃除、キッチン、シャワーは当番制になっている。台所は順番に使うから混雑はしない。それぞれご飯を作って食べている。全員で1・2回ゲームしたことはあるけれど、基本普段通りそれぞれの生活をしている。殆ど駐車場で練習したり運動したりしていた。買い物は週に1回。場所はマルカイかセーフウェイという決まった場所へ。日本食スーパーのニジヤは入場制限で並んでいた。もう一つの日本食スーパーマルカイは普通に買い物できた。その翌週は制限あり(昼頃行って待ち時間5分)。先々週は検温していたけれど、先週していないなど基準が分かりにくい。カートの消毒、アルコール、レジ前にプラスチック板、レジのテーブルの上を毎回消毒、エコバック禁止(お客の持ってくるカバンに菌が付着している場合があるので)。一方アメリカ系スーパーセーフウェイ:入場制限なし、カート消毒してある、アルコール、レジにプラスチック板、レジのテーブルの上を毎回消毒、エコバック禁止までは一緒だけれど、買い物する際通路が一方通行なので、買い忘れたものがあっても戻れない。ぐるっとひとしきり回って戻らないといけないので、気をつけなければならないと。(しかもかなり広い)

買い出しは1週間分を買いに行くので、メニューはある程度考えてからいく。食べたいものを中心に、レシピは携帯で調べる。ブランチはパン、シリアル、バナナ、シリアルとバナナ、ハムチーズサンド、ベーグルクリームチーズ、アボカドトーストなどで、後は走ってお腹を満たす。

5月4日に自宅待機解除するだったものの、結局延長となって5月22日現在もまだ完全解禁ではない。そして先週あたりには、秋も大学はオンラインになると決定した。ただし、10人以下なら集まれるようなので、ラボとか必要な学生のみキャンパスに戻れる。オンラインの場合クラスの人数制限が無くなるので、授業が選び易くなるというメリットはあるそうで。今のうちに人気のクラスを取っておく必要があるなと。

そして最後に今の時点で日本に帰って大学編入の可能性もあるのか?と聞いた。娘はあと一学期で卒業なので、とにかく残る予定にしているものの、息子はまだコミカレ2年目で、4大に編入するのか、そのままコミカレ続けるのか?などと計画が立てられなくなったからだ。すると今の所そのつもりはないと。なぜかと言うと、本田圭佑のインタビューに共感したからだと言うじゃないか!なに?座右の銘的な何かを見つけたんか?と思って聞いてみると、とある記事で『海外のサッカーチームに入った時、なぜ日本に戻らないのか?』と言うような質問を聞かれ、『日本は素晴らしい国で大好きだけれど、快適すぎる。』と。挑戦しようと言う思いが、必死で勉強すると言う姿勢が、自分も帰国してしまうと無くなるような気がするからと。昔の息子を知っている人がいたら、本当に驚く。快適なぬるま湯にとっぷり浸かって中学2年生まで生きていたのに、アメリカ生活は彼をこれ程までに成長させてくれた。

家族でzoom会

コロナの影響で自宅待機になり、かえって子供達と繋がる機会が増えた。とにかくアメリカで忙しい日々を過ごしていた子供達なので、ある意味ちょっと嬉しかった。今年8月には約2年半ぶりに主人は娘に会えると思っていたのに、約1年半ぶりに息子に会えると思っていたのに、行けそうにもなくがっかり。なので毎週末家族でzoom会することになった。ある時は飲み会に、ある時はzoom背景誰が一番おもろいでしょう選手権もした。自宅で焼肉パーティーした時は、子供達に匂いだけ送って嫌がられたけれど。

画像4

zoom飲み会?で私たち親は朝から飲んでました

資金が尽きれば帰国しなくてはならないのが現実。落ち込んでいても、心配していても仕方ない。腹はくくったんだからとにかく前向きに考えるしかないし、楽しく過ごそうと決めた。それに子供達がコロナの中、元気で逞しく過ごしてくれている事が何よりだった。これを機に、時差の関係で普段中々話せない祖父母とも繋がれた。まだまだ先が読めない上に、第二波、第三波が来るかもしれない。その時まで何ができるのか、家族一丸となって立ち向かっていくしかないなと。離れていても、こうして繋がれるテクノロジーに感謝。

いま私にできること・・・また会える日を楽しみに、毎日頑張っていくことしかないね!


いいなと思ったら応援しよう!

がち母子留学Wakana
あなたのサポートは、本出版の為に使わせて頂きます!(差し支えなければ本にお名前入れさせて頂きます)留学したい方の役に立つようにしたいです!