With パニック日記(1)
お久しぶりです。
現役女子大生4年のWakanaです。
今年の春にパニック障害になり、今も治療中です。(パニック障害になった経緯を知りたい方は記事を載せますので、ぜひ見て頂けると嬉しいです!)↓
さて、本題に入りましょう。現在は実家での療養をしているのですが、実は10月29日から11月2日の間パニック障害になった場所、一人暮らしをしていたマンションに行ってきました。
冬用の洋服を取りに行くことと、大学の卒業アルバム用の個別写真を撮りに行くという重要な目的がありました。
出発の前日から頭の中は常に不安と緊張、そしてわくわく感が入り交じったなんとも整理しがたい状態。
当日も少しパニック発作の前兆が強い状態で、母と共に(まだ長距離は一人で移動できないと判断したため)実家を出発しました。
多くのパニック障害の方が苦手とする電車やバス、タクシーなどの乗り物はなんとか発作を起こさずに乗ることができたものの、息苦しさ、不安、緊張、吐き気は常に付きまとって、いつ発作が起きてもおかしくない状態でした。
しかし、パニック発作が酷い頃に比べたらそれくらいで済んだため徐々に治ってきているのだと実感は湧きました。
ただ、常に主治医から言われてた「絶対に無理はしないでください」という言葉だけを意識しながら行動していました。
何事もなく、マンションに到着すると当時パニック発作だとは知らずに一人で苦しんでいた自分が脳内にフラッシュバックし、身体が硬直し震えて、何時間かは落ち着かなくてひたすら部屋の中をうろちょろしていました。
しかし、パニック発作が落ち着いてからの初めての長距離移動であり、さらに実家が田舎だったということから久々の都会で人混みに疲れてしまって、夕食後にはすぐ眠気が襲い、初日はそのまま眠りにつきました。
二日目になるとまず始めに、午前中に母と一緒に日用品を買いながら軽く散歩に出かけました。環境の変化に敏感なため、普段から見慣れない景色に恐怖と不安が募りました。そばには母がいるというのに息苦しくて、どうにか堪えられたもののもうすでに実家に帰りたいと思ってしまいました。
今まで実家では家周辺や少し遠くに一人で散歩していても比較的大丈夫だったのに、やはり環境の変化で怯えてしまっていました。
そのあと早速、冬服や使っていなかったスキンケア商品やらを段ボールに詰め込む作業に取りかかりました。
実は一人暮らしの場所に行く一週間前にはやる気が出ずに(パニック障害の症状の一つ)、卒論を書けても大体休み休みで2時間程度しか集中力も出ませんでした。
しかし、段ボールに詰め込む作業は黙々と取りかかることができて、母も私自身も驚きました。そのときだけ、パニック障害前の私に戻ったような感覚に戻りました。
夕方頃にはいつもなら散歩に出かけるはずなのに、やはり午前中の散歩の時に感じた恐怖や不安で散歩することはできませんでした。ただ、パニック発作が酷いときに比べたら、この日は非常に充実した一日を過ごすことができたと、少し回復の兆しが見えてきました。
三日目。この日も午前中に散歩に行きました。環境の変化に慣れてしまえば発作の前兆が起こる頻度も減るはずですが、なぜか昨日の散歩の時よりも恐怖や不安を強く感じました。何かに意識を集中させないと、と必死に別なことを考えながら散歩しました。ただ、発作が起きなかったことは不幸中の幸いとでも言えるようでした。
この日は昨日の段ボールに詰め込む作業を頑張った反動で一日中やる気も出ずに、ただ少し片づけてゆっくりしていました。何でも母に任せてしまうのは申し訳ないと思いながらも、無理してはいけないと母にも主治医にも言われていたので甘えることにしました。
パニック障害の症状は人それぞれですが、私の場合はこのようにいつも以上に頑張った分の反動が顕著に身体や精神に現われてしまうということもあるので、とにかくこの日はゆっくりしていました。
しかし、その日は同じマンションに住んでいる親友と夕飯を一緒に食べる約束をしていたので心の中では少しわくわく感はありました。
実際に久々に親友に会ってみると、とてつもなく楽しくて午前中の恐怖と不安とかやる気のなさはどこに行ったのやらと思えるほど心に楽しさが満ちあふれていくのを実感しました。
四日目。この日のスケジュールはぎっしり詰まっていました。午前中は卒論を進めて、午後は大学の卒業アルバムの個別撮影を行う予定でした。
この日の一番の心配事といえば、30分間電車に乗って行ったことのない写真館にいくということです。パニック障害発症後、初めて30分間電車に乗り、さらに初めて行く場所に行くということで、不安はとてつもなく強く感じていました。
午後になると若干汗ばみ冷たくなった手を温めながら電車に乗り込みました。幸い、最寄り駅が始発だったためそこまで人は多くなく少し落ち着きましたが、それも束の間、次々と人が電車に乗り込んできました。
そのたびに不安が強まり、息苦しさと吐き気が酷くなり頓服薬を服用しようと思ってしまうほど辛い状態でした。しかし、人が密集している電車の中、人前で薬を飲むのは気が引けてしまうと思い、必死にツボを押したり息止め方法をしたりして乗り越えることができました。
電車から降りると一気に開放感は感じられたものの、それでもまだ頭には不安がまとわりつき、息苦しさと吐き気は続いていました。写真館についたころにやっと落ち着きを取り戻しました。
写真館につくと、私の前に予約していた団体の撮影が長引いていて、その団体が私が入学時に仲良くしていた友人達で、待っている間その中の一人と少し話をしました。
話はもちろん就職の話で、「どこの営業になったよ!やっとこの間内定貰ったばっかりで本当に大変だったんだよ。Wakanaはどこに決まった?」と話しかけられました。
パニック障害になった一つの原因として就活のストレスもあり、その話題を振られるとなんと答えようととても考えていました。その友人は私がパニック障害だということも知らないため、ありきたりな答えをすることで精一杯でした。
パニック障害にさえなっていなければ今時内定を貰うことが遅れたとしても粘り強く就活できていたんだろうな、親友達と一緒に卒業アルバムの個別撮影も一緒に撮影できたんだろうな、みんなと遅れることなく順調な人生を歩めたんだろうな、と彼女たちの和気藹々とした様子を見ていたら自分が落ち組のように感じて、後悔で胸が埋め尽くされました。表情に出ないように必死に隣で会話を聞いていた母に隠して、くだらない話を繰り返していました。
それでも母にガウンとモルタルボードを身につけた姿を見せられただけでも良かったと、泣きそうになりました。入院中、今年は卒業できないかもしれないという全く未来の見えない状態だったため、ここまで支えてくれた母に晴れ晴れしい姿を見せられて、一緒に写真も撮ることができて本当に心から感謝と幸せを感じました。
帰りは帰宅ラッシュの時間のため、電車がとてつもなく混み合っていました。パニック障害にとっては最悪な状態。ただ、不思議なことに発作の前兆を感じることもなく帰ることができたのです。そのときもしかしたら、荒治療とまではいかないけれど、なんでも慣れてみないとパニック障害は乗り越えられないと微かに思いました。
最終日、この日は朝から移動で大忙しの日でもありつつ、東京で大学生活を送っている弟とランチをするという楽しみなイベントがありました。
上野駅集合で近くのカフェで滅多に連絡をくれない弟の近況を聞きながら、久々の外食を楽しめました。誰かに会うということは今のコロナ禍ではある種危険行為かも知れないけれども、やっぱり実際に会って話をするということは何よりも人間にとって重要なことなのかもしれないと、弟の成長を感じつつしみじみ思いました。
パニック障害だと診断されてからの初めての都会。無事、発作を起こすことなく実家に帰ることができました。母が付き添ってくれたおかげかもしれません。ただ、着実に症状が落ち着いてきているという自覚を持てたことが今回の大収穫でした。
そして、「無理をしない」といいながらも「やってみなければ分からない」という矛盾した現状が付きまとっているのだということも今回の出来事で学びました。
パニック障害の方は決して無理してはいけません。ただ、行動してみたら意外となんともなかったということも十分あり得ます。自分の思い込みで自分を苦しめているかもしれません。
「無理してはいけない」けれども「行動してみなければ分からない」という線引きがとても難しいことではあります。しかしながら、怯えてばかりではこの障がいは改善されません。
何かのきっかけでちょっとずつ前に進むことが何よりの治療方法なのかもしれません。あくまで私個人の体験談ですが、この記事を読んで少しでも勇気ややる気が出た方は、無理をしないで、でも少しだけ挑戦してみるということをやってみてはいかがでしょうか。
私もまだまだ完全体ではありません。ほど遠いです。パニック障害に向き合って、みなさんと一緒に蟻のように少しずつ前に進められたらと希望を持って生きていきたいと思っています。
これからもパニック障害日記は書き続けようと思っています。パニック障害の方に勇気を与えられたら嬉しいです。パニック障害を詳しく知らない人に知ってもらえたら嬉しいです。ぜひ、これからも私のパニック障害日記を見守ってくだされば幸いです。
全ての人が前に少しでも進めますように。
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