真夏の君と白いカーテン Episode 6
校舎に残っている生徒は俺と悠人だけだと思い込んでいたためか、彼女のか細い声が聞こえたときは腰を抜かしてしまいそうだった。この教室にいるということはクラスメイトだろうと予想できるが、今にも消えてしまいそうな声は一度も聞いたことがない。近づきたくても近づけない、冷たく厚い空気で圧迫されているようで後ろを振り向く事で精一杯だ。
「ねえ、帰るの?」
「えっ、あ、はい」
「そっか」
何がしたいのか分からないが、彼女はあからさまに残念がる声色に変えた。未だにカーテンに隠されて誰かも分からないが、その声色に少し人間味を感じられ、踏み込んで話をしてもいだろうと思うほど緊張感が薄れていった。
「あの、ここで何してるんですか?」
「ただ一人で外を見てただけよ」
「もう下校時間が過ぎてるので帰った方がいいですよ?先生に見つかったら大変ですよ」
抜け駆けして夜の学校散策だ、と悪巧みしていた自分が早く帰った方が良いと言うのも説得力は無いが、彼女がこんな時間まで何か用があったとは思えないため、ついつい口出ししてしまう。
「そういうあなたは帰らないの?」
「ちょっと忘れ物を取りに来てたんですぐ帰ります」
「嘘。あなたが教室に入ってきたとき、してはいけないことをしているような背徳感に満ちた表情をしていた。口元は笑っていたけど、目はなんだか獲物を狩るように妙に冴えていて」
いとも簡単に見透かされ、一瞬呼吸を忘れかけた。考えてみれば夜の学校散策という目的しか考えていなくて彼女がいたなんて分からなかったくらいなのだから、理性がぶっ飛んだ野生動物と同類だ。そんなの恥ずかしくてすぐさま話を逸らした。
「もう暗いですし、途中まで一緒に帰りますか?友達も一緒ですけれども」
「お気遣いありがとう。でも大丈夫。私待っている人がいるから」
「待っている人って」
こんな真っ暗な教室に一人で待ってるなんて違和感しかなくて、詳しく事情を知りたくて聞き返したそのとき、爽やかなそよ風は暴風となり窓ガラスを叩き、白いカーテンを激しく揺らした。台風を無防備な全身で受け止めているようで呼吸は浅く、目を瞑ってしまう。けれども後ろから俺の名前を呼ぶ声がしてバランスを取りながら振り返ると、悠人と担任の新井は素っ頓狂な表情をして突っ立っていた。
「白井、いかにも強風に煽られていますって感じの格好でどうした?」
「え?」
気がつけば暴風は止まり、教室内も荒れていない。あれほど風が吹いていたのなら掲示物は飛ばされるし、落ち葉で散らかるはずなのだが。
「あ、あの子は」
俺よりも暴風を直で受けたであろう彼女はいつの間にかいなくなっていた。カーテンも綺麗にまとめられ、窓すらも開いてなかった。
「なんでだ」
心に留めきれなくて声に出してしまう。見たものは全て本当だったはず。それなのに何もかもが元通りになってしまっている。錯乱状態でも起こしてしまったのだろうか。それとも彼女は幽霊とか。考えれば考えるだけ術中にはまって抜け出せなくなる。落ち着きのない姿を見て悠人は面白おかしくからかった。
「勉強しすぎて幻覚でも見えたか?」
「いや、そんなことは」
「ほら、荷物持ってきてやったんだから早く帰るぞ」
若干呆れられているようにも思えるが、変わった様子の俺にあまり興味を持っていないようだ。新井も未だに頭の上にクエスチョンマークを浮かべているが、深く掘り下げようとはしなかった。彼女は確かにいたと視線を残しながら、身体はその場から離れたくて教室を去ろうとしていた。大きな衝撃に恐怖心が隠れていたのだろう。
どうやって彼女は消えたのか、そもそも彼女は誰だったのかとたくさんの考えが頭の内側に突いてくる。道ばたの草花が通りかかる一台一台の車のライトで点滅しているリズムと同時に。いつもより悠人との帰りが平凡に感じたのは、踏み入れてはいけない領域に入り込んでしまいつつあるからなのだろうか。徐々に黒色が深まる空に自分まで染められていくようだった。
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