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岩手県山田町って、「どこ」だ?

関東在住アラサー独身女子。みずがめ座のA型。

わたしの生まれ故郷は、岩手県下閉伊郡山田町。
「響きます 海・川・森のハーモニー」
わが町のキャッチフレーズである。

漁業をはじめとした第一次産業が活発で、山菜などもよく採れる。「オランダ島」に代表される景勝地や地元に根ざしたスーパーや直売所、生活する分にはほぼ不便のない町といって良いと思う。

ところが、11年前の東日本大震災で町の様子は一変した。
「復旧」から「復興」へ、尽力している方々の創意工夫とその結晶には感謝感謝である。

さてわたしはと言えば、中学卒業までをこの町で過ごした。サムネイルは夕日に照らされる山田湾。世界で一番好きな風景だ。
この景色も今は、ほとんど防波堤に阻まれ見えなくなってしまった。

高校生からは、山田町のお隣・宮古市に移住した。
まだ「復旧」もままならなかった頃。高校生のわたしに何ができるのかを模索する日々。
そんな中で出会ったのが「ユースみやっこベース(現・NPO法人みやっこベース)」である。

そこには、「宮古が好き」「宮古をもっと素敵なまちにしたい」という情熱に満ちた同世代の仲間がたくさんいた。
移住し、同市の高校に通っていたわたしは、いつしか宮古市も「地元」と感じるようになった。
宮古のまちが、若い世代の熱意でどんどん良い方向へ変わっていく。

ところで「地元」山田町はどうだろう?
宮古の若者には、まちに大きな変化をもたらした。
山田の若者たちは、どんなふうにこの町の未来図を描いているのだろう?

少しネガティブな話になるが、地方の小さな町となると、どうしても閉塞感がある。地元で人生が完結する、そのこと自体はなんの問題もなくむしろ豊かな人間関係を築いた結果だと捉えているが、そういったライフコースの選択は思春期のわたしには耐えがたかった。

上京した身で言うのもおこがましいが、離れてから見えるものはたしかにある。わたしが暮らした山田町は、本当に素敵な町なのだ。

今まさに、山田で暮らしている学生や若年層のニーズが知りたい。
「一度は町外に出ても、いつか戻りたい」と思っている若者たちへ、その「いつか」の山田のまちが、少しでも多くの人の心を掴むまちであってほしい。

関東在住アラサー独身女子の願いは、
「山田の魅力をもっと引き出す仲間が欲しい」
ということ。


なんだかふわっとした感じになってしまった。
殴り書きの文章だけれども、同じ気持ちの山田出身/山田町民のみなさんへ届きますように。
とりあえず、今年中にもう一度帰省したいと思います。

続く。

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