家柄とか肩書きとか。
今日は実家の父と母が遊びに来ていた。
父の実家は四国にあるのだが、
昔はそれこそ、
「相手よりも家柄が大事」
「姉妹は年上から順番に嫁に行け」
「血縁者に医者か弁護士がいなけりゃ大した家じゃない」
というような価値観が、
ごく普通にまかり通っていたそうだ。
私の叔母(父の姉)も、
2番目のお姉さんが先に縁談がまとまってしまい、
慌てて親が1番目のお姉さんの縁談をまとめさせた、とか。
家柄が良いから、
夫の人柄は全く見ずに結婚を即決めさせた、とか。
「お前の相手は医者も弁護士も血縁にいないからろくな家じゃない!」
と親に言われて結婚は認められなかったり。
もう本当に信じられないような話ばかりで、
呆れてしまった。
冗談ですよね?
と。
アセンダント水瓶座の私&水瓶ステリウムの夫は、
信じられない…無理過ぎる…
という気持ち。
でもそうやって結婚というのは家同士で本人の意思は無視して話をまとめるものだった、という。
家柄とか血縁とか、
「個人」そのものではないしがらみの世界。
がんじがらめ。
見えない鎖だ。
もちろん全てが悪いわけではないし、
「御家の存続」は大切だけれど、
特に皇族でも貴族でも無いのに、
家柄や血縁にこだわるなんて、
これからの時代はナンセンスでしかないと思う。
ちなみにうちの父はそういう地元や親に反対されながらも、
なんの家柄も無い母と「気が合うから」と結婚し、
今も仲良さそうに暮らしている。
『親はどうせ先に死ぬから、自分のやりたいようにやるよ』
父はそう言って母と結婚したそうな。
良い話だけれど、
母はずっと義実家から疎まれて、
大変なこともたくさんあったようだ。
もうそういうのはやめようよ。
水瓶座の時代、
全ての人がおかしなしがらみから抜け出して、
「個」として生きていけますように。
家柄とか肩書きは、
そういうのが好きな人は好きな人同士で生きてほしい。
関係ない人には関係ないままで生きて行かせてほしい。
お互いがお互いを、
放っておけばいいだけだから。
8ハウスで家柄と血縁に守られて生きたい人は生きていいし、
9ハウスで海外を転々としながら生きたっていいし、
10ハウスで自分が社長になって「社員は家族」だと思いながら生きたっていいし、
11ハウスで友達とシェアハウスしながら生きたい人もいたっていいし、
12ハウスで山奥に隠居して1人で生きたっていい。
「結婚とは8ハウスの中に飛び込むことでそこから出ることは許されん!」
ってそれだけに固執する必要は無い。
もっともっといろんな人がお互いに、
お互いを尊重しながら放っておける社会であれ。
少なくとも自分はそうあろう。
そんなことを思った日。