世界は
リスクマネジメントについて熱心に考えた時期がある。それは就職活動を迎える少し前の学生時代だったような気がする。
リスクに備えて計画的に物事を進めていくことが長所だと思っていたし、自分の性格にはそれがむいていると思っていた。けれどあの時の私がリスクだと思っていた事が、本当にリスクだったのか?それは人によってはリスクではなくてチャンスになりうるモノであっただろうし、一般論を味方につけた自分自身の引っ掛かりだったのだと思う。
そんな事を思い出すようになったのは、コロナに関わる色々なニュースを耳にしたり、職場で対応に追われていたり、巣篭もり生活が人々にとって様々な機会になっている事を感じてのことだと思う。この状況で、様々なものが消えていく、そして様々なものが創られていく。
もちろんリスクに備えて考えなくてはいけない立場の人はいて、そんな人たちに助けられていることも事実なのだと思う。けれどそうではない私にとっては、リスクを通して世界を見ること自体がリスクだ。リスクという眼鏡をかけて世界を眺めていると、怒りや辛い悲しい現実にばかり目が向く。リスクマネジメントが趣味だった時代の私だったら、きっと本当に疲れていただろうなと思う。
無理に明るく振る舞う必要はなくて、ただ、リスクは自分自信で創り出していることに気づくこと、何をリスクとし不安や恐怖を感じているのかに気づいて自分を認めてあげる事が大切で。そして大人になったって自分に対して、子どもが泣いた時のように「悲しかったね、怖かったね、不安だよね」と声をかけて、子どもが泣き終わった時のように「大丈夫だね」って笑いかけてあげてほしい。
自分に優しくなれたら自分を愛せたら、きっと世界も優しくなる。愛をもって世界を見れば、世界は愛で溢れてるって言うでしょ?(言わないっけ?)
自分が見ている世界は、自分が見たい世界なのかもしれない。