PICKY卒論 vol.1〈TikTok〉by ソーズビー・キャメロン
今日の食わず嫌い見直しの対象は「TikTok」。
16歳の時に知った。当時やっている人はみんな自己顕示欲に塗れたような人ばかりだった。
この先入観により出遅れた私は8年前から、コロナも経て更に現代の流行に遅れた要因だと思う。
私のTikTokに対する偏見を当時の景色を言い訳に始め、縦動画+アルゴリズムの文化が今の私たちにどんなチャンスをもたらしたのかを考えてみる。
私が出遅れたワケ
旧・日出高校(現・目黒日本大学高等学校)の芸能コース(今年で撤廃)に通っていた私ですが、そうは名乗っても芸能の講義も実技も何もない名ばかりと言っていいようなエセ芸能コースでした。学生も同様に二通りいた。
「好きで芸能に取り組んでいる者」と「成りたくて芸能に取り組んでいる者」。
TikTokを利用していたのは主に後者であった。しかし当時はちょうどAbema TVが勢いを増している時で、渋谷の広大な駐車場に高層ビルが立つくらいだった(厳密には別会社のビルらしいが)。私はよくその駐車場を横切りセンター街先のサイゼリヤ辺りにいる凶暴なカラスを避けてNHKに通っていた。鳥恐怖症の私には迷惑極まりない、由々しきビルであった。
その頃、日出高校のファッション芸能人たちも、Abemaの恋愛リアリティショーに出ては万フォロワーを獲得する人がちょいちょい出てくるバブルが起きていた。お金も影響力もTVより良かっただろうし、今にも繋がる財産をたくさん手にしただろうと思う。彼らのミーハー具合は見ていて本当に恥ずかしかったが、あの強欲なアンテナは見習わなければいけない。
そこでブレイクした者の一部は通信制に切り替え、より有名な子達とのコネクションをゲットしてはスタバを片手にsupreme(シュプリーム)のスニーカーとバケットハットを被った人種で溢れた。ちなみに読み方のわからなかった私はそのスニーカーを見つけるたびに「スーパーミー!」と叫んでいた。
煌めき芸能ライフを手にした彼らの多くは現在、残念なことに活動を当時ほどに続けていない。
いいえ、芸能は早く諦めるが吉。ハッピーならばむしろやめて大正解。だが、廊下でAAAを熱唱していた彼らにとっては勿体なかったんじゃないかな。
当時、Abema TVのバブルに便乗して彼らのマネージャー達がガンガン押したのがアイドル活動、もしくはTikTokであった。まだYouTubeは芸能人がやるものではない空気があった。TikTokをツイッターに載せる時代。なぜならインスタグラムはまだまだ正方形の世界で、ストーリー機能も存在していない。
一方のアイドル活動は儲かるんだと知ると、いろんな芸能事務所が一斉に始めた。このバブルは未だに続いている。
方やTikTokは音に合わせて踊りともいえん踊りをわちゃわちゃ演っては載せ、再生回数だの「いいね」だのを気にする文化がまるでわからなかった。けれど、みんなで集まってやると楽しかったようで、放課後の教室にてディズニーランドで買ったカチューシャをつけてガチャガチャ踊っていらっしゃいましたよね。
エンタメここ10年の変貌
私がTikToker達を軽蔑していた理由には、他者の目線を気にしたコンテンツ文化であったからだ。みんな自由に個性的に踊ればいいのに、中途半端なカッコ付けやブリっ子で上目遣いに媚を売る姿が受け入れられない。
なぜなら頑固な私にとって、 芸能やTVというのは発信者が責任を持って演技や言論を行うべきという考えが今でもある。故に、フォロワー様様で頼って見える文化TikTokに本気で危機感を感じていた。そんなものが流行ってはより発信側の主導権が減るではないかと。地上波のバラエティ番組も大下降を見せていた時代でしたのでね。
8年経った今も、TikTokの勢いは収まらず、今やどのアプリを開こうと縦(9:16)の動画コンテンツが主流になった。今やナンセンスな踊りや企画だけでなく、ライフスタイルやVlog、CMにねずみ講まで出てくる。
「おすすめ欄」を開けば個々人のためのバラエティ、もしくはマガジン、みたいな世界観がひろがっている。
日本のTVで言うと、広告収入が各媒体へ分散してしまったようで、地上波はセットを使うことも難しくなってきた。各局、裏で物件を動かしてみたり、金儲けの部署を作ってみたりとやりくりしておりますが……
YouTuber文化はこの8年ですっかり落ち着き、ただの1プラットフォームとなった。
配信は大手のAbema、Netflix、アマプラ、Huluなどなどもっと…若干飽和状態だが、やっと各社個性が出てきた。
今日に見るこの流行には2つのポイントがあるといえよう。
1に【消費者のエンタメ受容がかなり受動的になったこと】。
2に【銀幕という文化が廃れ、箱(液晶)の中に入ることがなんら当たり前の世界になったこと】。
1.消費者のエンタメ受容が完全に受動的になったこと
監視資本主義のヤバさをドキュメントしたNetflix映画『the social dilemma』では、Googleや旧Facebook社で働いていた人たちがその実態と危険性を暴露していた。
最も影響しているのは、アルゴリズムだろう。
このお陰で「おすすめ欄」に自分専用のマガジンが出来上がり、調べる必要もなく自分の趣味に没頭できる天国が毎秒毎瞬生まれる昨今である。
そもそもアルゴリズムと検索すると
「問題を解決したり目標を達成するための計算方法や処理方法のこと」らしい。
各社でアルゴリズム(計算式)は異なるらしく、Chat GPTちゃんに各社の個性を教えてもらった。(興味のない方は点線をスキップ)
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SNSアルゴリズムのまとめ
by ChatGPT
〈Instagram〉
アルゴリズム名:
特定の名称は非公開(機械学習を多用)
目的:
写真や短い動画を活用し、視覚的な魅力を引き出し、エンゲージメントを高める
仕組み:
・フォローしているアカウントの投稿
・関心に基づいた「発見(Explore)」タブのおすすめ
・最近導入された「リール」は短尺動画の人気度でランキング
〈YouTube〉
アルゴリズム名:
レコメンデーションシステム
目的:
動画視聴時間を最大化し、広告収入を最適化
仕組み:
動画の視聴完了率やクリック率に基づく推薦
〈X (旧 Twitter)〉
アルゴリズム名:
For You
目的:
リアルタイム性を重視し、ユーザーの関心に合った投稿を表示
仕組み:
・フォロー外のトピック表示
・ハッシュタグ、トレンド、リツイートの影響
〈TikTok〉
アルゴリズム名:
For You レコメンデーションアルゴリズム
目的:
ユーザーの興味に基づき短尺動画を推薦し、視聴時間を最大化
仕組み:
・視聴行動: 視聴時間、再生完了率、繰り返し再生
・エンゲージメント: いいね、コメント、シェア、保存
・興味関心: 視聴履歴や好みの判断
・コンテンツ属性: ハッシュタグ、音楽、トレンド要素
・地域情報: 位置情報や使用言語に基づく最適化
特徴:
短尺動画の魅力を活かし、次々と新しい動画を提供。
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各社の目的は当たり前に私たちの幸せではない。私達ユーザーの趣味道楽を通じ、彼らの商売繁盛に利用してくれているのである。よってメインメディアや大手の下火になってしまった実力派な人材・商品たちも我々に知らせてくれるようなシステムが出来上がったのである。個人が更に世界へアピールをしたい場合にはアルゴリズムの計算式を利用すればバンバンアピれる&稼げる夢もあるのだよ。よくいえば。
しかし映画『the social dilemma』で私が記憶しているある人のセリフは、
「私たちが無料で使っているということは、私たちが商品である」。
アルゴリズムにより単に自分の好みに合った趣味やショッピング、グッドルッキングな人を提示してくれる分には有難い話。しかしそれだけ好みが知られていれば弱みも握られているだろうし、地獄へおいやろうと思えば一瞬だろう。
これ以上ネガティブなことを言うと陰謀論者とか言われそうだから控えますが、間違いはないかと。
そんなことよりも私がやはり危機に感じていることは、我々消費者がすっかり受け身になってしまったことである。貴方様も、昔よりも全てにおいて忍耐がなくなったと思いません?
映画も長く感じるし、動画を飛ばせないとイライラするし、人の話も結論から聞きたい。
時代を振り返れば娯楽の変貌は凄まじく、
古来より劇場→昭和よりTV→平成でネットにスマホ......
私たちの物心がついた[平成]には
個人的かつミニマムに情報を集められる高度情報化社会が整い、
[令和]になってすぐコロナが起き、
アルゴリズムが急成長した[今日]にはなんと受動的に!
探さずともあなたの娯楽・刺激・商品が手元に現れる時代になったのである。
[古来の劇場~現代のスマホ]へ娯楽が移行したしたことによる2つ目の流行ポイント、
2.銀幕文化の廃れ、
箱(液晶)の中へ参入の一般化
カメラレンズがあって、ボタンを押して録画し、指定したところで再生。
これだけのことなのに、なぜ人々はTVをこんなに神格化するのだろうとは小さい頃から思っていました。今や、「箱に入る」ことはもう特に特別なことではないとわかっていただけましたよね?とはいえ、昔から人々はセレブの真似っこをしたがると持論に思っている。
貴族の文化を舞台で、
舞台の文化を映画で、
映画の文化をTVで、
TVの文化をYouTubeで、
YouTubeの文化を縦動画で…
大雑把ではあるがこう言った具合に、神器が登場する度に庶民が憧れに噛みつけるタイミング毎にエンタメ文明が繁栄したと個人的に思う。なのでミーハーは社会にとっての成長材。
そのお陰で最近は縦動画は予告文化となり、それぞれの媒体へ移行させてくれる我々のニューノーマル・コマーシャルとなってくれているようだ。
私たちの憧れるあの人やあの団体と同じ画面に並べる日が来てしまったのだ。
やったーみんな有名人!ですか?いいえ。
スポーツにしても、商売にしても、芸事にしても、あなたの技は誰も奪うことも真似ることも当たり前にできない。新しい価値や技術が次々に生まれやすい時代だからこそ、各々の持ち物を正しく琢磨する忍耐と知性はより必要になると思う。
持論ではこれは「ブランディング力」だと思っている。
ソーズビーのアルゴリズムが見せる
アメリカン・バラエティ
私のインスタグラムはほとんどアメリカ社会で、日本の流行がやってこない。しかし「アメリカの流行がすっっごい遅れて日本にやってくる」と渡辺直美さんもKEMIOさんも言ってた。
なので私のアルゴリズムちゃんが見せてくれる最近のアメリカのエンタメ界の片鱗を解説いたすと、
日本同様に各界、スケールダウンしている様子は窺えるのだが…各ブランドが正々堂々とどの媒体でも自社のプライドを提示していると思う。大手映画社の予告編にしても、TV番組の切り抜きにしても、歌手のライブやファッション・ブランドのコレクションにしても…そこに画面があるならば、9:16の動画にしてはみんなのスマホに意地でも自社の自慢品を洗礼されたクオリティでアピールする大手ばかり。
私の実体験で言うと不思議なことに、アメリカで制作・放映(配信)されている番組内容を、過去数か月分の内容は語れちゃうくらいにはインスタで見ているのだ。本編を見ていないのに…!
何が不思議かって、それぞれ無料で手軽に内容を見せているのに、「落ちぶれ」「安売り」の雰囲気がひとつもないのである。
それは、どの媒体にも対応できるブランディングがしっかりと確率されているからだと思う。その力があれば、来たる時代・媒体に怯えることなく、むしろ未来を見つめた商売展開ができるわねん。と私は学ぶ。
そして、面白い動画を載せるインフルエンサー達がどんどん大手雑誌の特集や表紙を飾っている。私が思うに、
過去にバラエティ番組という船に乗って賑やかしていたTVタレント達が、現在はSNSでインフルエンサーとして頑張っている様なのだ。
タレントもインフルエンサーも謎仕事。しかし私たち消費者に時代の流行をポップに教えてくれる道化師。器用で可愛くて多才な人が多いですよね。
つまり、
番組・雑誌単位の「マスメディア」でバラエティを展開していた時代から、
アイコン・ブランド単位の「個人」がバラエティを展開していく時代なのだと思う。
今のうちね
個の時代、風の時代と呼ばれていますが、私たちはついに個人的に社会に向き合わなければならない環境に巻き込まれてしまったのだろう。
そして、個人的に主義主張をできる時代になったということ。
今まで通用していた様な言い訳ができなくなり始めているのもちょっと怖い。だがこれまで私たちが諦めていたものを直接欲しいと言える時代になったのだと思うと、素晴らしい革命だろう。
更に思うのは、今はお祭状態であるということ。さすがにここまで私たちの生活に溶け込んでくると、嘘かほんとか、人かAIかわからないなんて環境にはしておけないだろう。特に米大統領選のそれは半端なく、情報過多をこして情報鬱な状況でした。
各社ブランディングを守るため、資格を持った人に言論させる時代がくるのでは…とも聞いたことがある。ですから、好きな音楽を使用して好きな場所で好きなことを言える今〜しばらくは、
SNS文化祭だと思う。
なので、今のうちよ!!私たち若者よ!
今こそ暴れるべき。
デジタルタトゥーを見せつけよう。きっといつか「あの頃何した?」と言う日が来るから。
ジジババが学生運動を誇らしげに語るように、うちらは縦画面の文化祭、もしくはアルゴリズム・アスレチックをとびきり映えて、踊って、
バズろうぞ。
Cameron Soesbe
✴︎国立埼玉大学 教養学部 哲学歴史専修
芸術論専攻3年生
✴︎学生有志団体〈TinyTheater〉代表
✴︎NHK Eテレ『えいごであそぼMeets the World』
『ビットワールド』などに出演中
Instagram @cameron.soesbe
X @CameronSoesbe