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若者研の学生を深堀り!第七弾・後藤
生ビールとハイボール、ジャスミンハイが燃料です。
好きな四字熟語は「大盛無料」、自己肯定感は低めだけど突飛なイベントを企画することが好きな大学4年生です。そんな僕の人生がつらつらと書かれたNoteを読み切ったあなたはよっぽどの物好きですね。
では、スクロールお願いします。
1.小学校卒業まで「周囲との関係構築に苦労する不器用少年」
2歳差と4歳差の弟を持つ三兄弟の長男として生まれた僕は、幼稚園では「おじいちゃん」とママ友内で呼ばれるなど、穏やかな気性の持ち主だったようです。そのせいか分かりませんが、当時の僕は戦隊モノのアニメやキャラクターには一切興味を示さず、トミカ(ミニカー)を収集して床に並べて渋滞させることが大好きな子供でした。可愛いですね。
余談ですが、最近になって再度ミニカー収集がマイブームになり、今は綺麗にディスプレイしています。お気に入りの車種はシルビアs15系です(誰も分からない)。
また、幼稚園時代から英会話とピアノを習い始めますが、ピアノのレッスンを泣いて拒み、代わりに水泳を習い始めました。ヤマハ音楽教室の先生、ごめんなさい。。
小学生時代は学校の成績は良かったものの、周囲との人間関係を上手く構築できず、生徒の大半が進学する公立中学校から逃れるために中学受験に臨みました。しかし、唯一受験した中高一貫校は補欠合格ではあったものの繰り上がることはなく、地元の中学校に進学することになりました。
今でも忘れられません。雪の降った2月3日、父親と庭の雪かきをしていたら郵便が届き、封筒を引き裂いて開くと「補欠合格」という見慣れない四字熟語がポツン。補欠の32番目と記された紙を玄関で見ながら立ちすくんだ記憶が今でも鮮明に残っています。これが1回目の大きな挫折でした。
2.中学時代「社交性と体力を育み、手に入れた精神的な強さ」
そんな僕は小学校卒業まではこの失敗を引きづりましたが、中学入学以降は置かれた環境で主体的に行動することを意識し始めます。実際に、バドミントン部に入部し上手く馴染んだ結果、在学時の最も心地の良い居場所となり、今も交流が続くコミュニティの一つになりました。いわゆる「地元の友達」にバド部の友人は欠かせない存在です。
また、バドミントン部に入ったものの学校の名義を借りて水泳の大会に出場することは可能だったため、習い事の水泳も続けながら両立を図りました。小学校まではぽっちゃりインドアキャラとして定着していた僕が、週4日はバドミントン、週1日は水泳をするという変化を遂げたことで体力と内面に少し自信が持てるようになりました。
中学2年次には生徒会の庶務(雑用)に立候補し、人前に立つことが当時苦手だった自分の弱みを改善するために、選挙期間の対外活動を全力で取り組み、当選につなげられました。緊張しすぎて全校朝会の際に「副会長に立候補した」と間違えて言ってしまい赤っ恥をかいた記憶が今でも残っています。
学業面では学年の上位10番以内の成績を残し続け、中学3年生の夏休みの課題で取り組んだ「税についての作文」コンクールでは、市内7ヶ所の中学校の中から市長賞に選ばれ、市報の1面を飾った経験があります。税金は高齢者だけでなく私たち若者にもっと使ってほしいという趣旨の文を書いたはずなのですが、それが市報に掲載されると親に「なかなか攻めた内容だね(笑)」と褒められ笑われました。
この適性と経験を基に、高校受験では内申点と小論文、面接によって合否が決まる推薦試験に臨み、第一志望の高校から少しレベルを落とした都立高校に合格し、進学することになりました。
3.高校時代「青春を謳歌した水泳バカ」
そして高校で念願の水泳部に入部した私は部活動に励み、週5日間の練習を通して記録を更新することに夢中になっていました。また、部内の雰囲気も穏やかであり、非常に仲の良い同期部員に囲まれた環境が高校の1番の思い出となっています。
しかしその代償として学業が疎かになり、いつしか部活動に参加するために通学しているような状況になってしまいました。親には「あんたより学年順位の後ろって不登校の子しかいないんじゃないの?」とよく言われました。はい、その通りです、反省しています、。
高校3年生の文化祭では、僕のクラスではオリジナル脚本の劇の上演に取り組みました。僕は広報の役割を担い、劇の認知度向上に向けたプロモーション用のSNSアカウントを母校で初めて運用し、登場人物の紹介や制作過程の配信をおこなったことが思い出です。その努力も実り、6クラスのうち唯一オリジナル劇に挑んだ僕のクラスは生徒投票で異例の2位を獲得し、既存の劇を上演した他クラスと互角以上の結果を残したことで悦に入っていました。
大学受験では、高校受験での成功体験を活かすためにAO入試に本腰を入れ、早稲田大学商学部を目指しましたが、最終選考のセンター試験で規定の得点率を満たせず不合格となり、基礎学力に泣く結末となりました。その後一般入試に取り組んだものの準備が間に合わず浪人が決定しました。
忘れられません。自分の身分がなくなり、何者でもない後藤が誕生した瞬間を。学生証もなくなった僕は親の勧めで原付の免許を3日で取りました。僕が何度も見たかった「合格」は免許センターで見れたものの、気分はもちろん絶望です。ちなみに、いまだに一度も公道で原付を乗ったことがありません。
ここでコロナウイルスが世界を飲み込みます。なぜか世界の時が止まり、僕を待ってくれているような気がしました。「自分も1年を失ったがみんなも失っている。」そう思うと少し気が楽になりました。
浪人の1年間はひたすら基礎から勉強に励み、予備校内では孤独を極めつつ悪くはない成績を残しました。しかし、2度目の大学受験では後がないというプレッシャーに押し潰され、試験直前に気分を悪くする日々が続き、雪辱を果たすことができませんでした。しかも、現役時代に受験した早稲田の商学部のAO入試もまたもや最終選考まで残り、前年と同じく共通テストの段階まで持ち込んだものの、規定の得点率を超えることができませんでした。
2年目の1月半ばの土曜日(文系科目の日)も雪辱を果たすことはできず、自分に嫌気が差しましたね。もう思い出したくないです。
そして個別入試シーズン。早稲田に行きたかった僕は乱れ打ちを敢行するも、緊張に弱く毎日キャンパスのトイレで嘔吐するしまいでした。
もちろん不合格。
その結果たどり着いたのは、滑り止めで受けたMARCHの無声音、Hの法政。「こんなに勉強して俺は法政なのか。」と早稲田の入試最終日に帰りの山手線で泣いた記憶は忘れられません。
4.大学入学~現在「置かれた場所で咲きなさい」
難易度と試験日程のみを判断軸に受験した法政大学に進学することが決まった私は、負の感情とコンプレックスを抱えて入学式に向かいました。また、当時はコロナウイルスの影響によりキャンパスに通うことはほとんどなく、はじめは自分がどの大学に所属しているのかわからない感覚があったため、今度は編入でも挑戦しようかなと情報集めをするほどでした。
しかしながら、1年遅れで掴んだ大学生を無下にすることは両親にも失礼だと感じ、置かれた環境を最大限に有効活用しようという中学生以来のマインドチェンジが私の大学生活を充実へと導いたのです。
私の大学生活は、多種多様な人とのつながりによって構成されています。所属した広告研究会というサークルでは、チームでビジネスコンテストに複数回挑戦し、課題に対する分析力や創造力を養い、2年後期からは制作局長という運営の立場として200名弱の組織をまとめあげました。大学生臭い遊びもたくさんしました。そして今後も関わりが続くであろう友人もたくさん出会うことができました。
ブランクを挟んだ水泳も大学入学を機に再び始め、第二体育会水泳部という部に入部し、水泳というスポーツを約15年間続けることになりました。この部はスポーツ推薦等で入部する学生はおらず、全国大会出場経験者から初心者まで所属していたため、同期部員とから刺激を受けつつも気負うことなく水泳を楽しむことができました。そして高校時のベストタイムを更新することができました。まさかブランクを挟んだ水泳で記録を更新できるとは思わず、驚きと嬉しさが溢れた電光掲示板のタイム表示を今でも覚えています。
ほかにも、2年生から農作物マーケティングを扱うゼミに所属し、3年生の期間は副ゼミ長として組織をまとめました(やったことは飲み会と定期的なレク企画の幹事)。
つい先日、ゼミの送別会があり後輩からメッセージカードをいただいたのですが、「後藤さんがいてくれたおかげでゼミが楽しかった」とお世辞を書いてくれる後輩がいてくれて、報われた気分になりました。
そして就職活動。正直やる気があまり起きず(ほかに進めていたプロジェクトが忙しかった)、気づいたら大学3年生の3月が終える頃に焦り始めました。大学4年の5月あたりは面接を毎日受ける勢いで地獄でしたが、なんとか数社内定をいただき、広告代理店に就職することになりそうです。さすがに留年はしません。浪人で懲り懲りです(笑)
5.おわりに
ここまで離脱せず読んでくださりありがとうございます。後藤の23年間を覗き見することができましたか?
こんな自由奔放な僕を受け入れてくれた若者研も実は残り2ヶ月で卒業してしまいます。高校3年生のときに友人の紹介で入ったため、なんと6年間もお世話になりました。感慨深いです。。定例会には立ち入れない身になりそうですが、来年度も何かのタイミングで顔を出せたらな、なんて思ってます。
まだこの文を読みながらも若者研に入っていないあなたはおそらく適性があります。気軽に来てください!
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高校生・大学生による若者シンクタンクコミュニティである「若者の研究所」では、毎月様々なテーマに対し、Z世代の思考・価値観・行動の傾向に迫る定性分析を行い、調査レポートを発行しています。Z世代は1996~2010年生まれ(現在13〜27歳)の若者を指し、日本の総人口の約14%、世界では人口の約32%を占め、Y世代人口を上回っています。現代社会において、Z世代調査などZ世代に関する情報は溢れています。しかし、価値観が多様化する中で「Z世代は〇〇である」と一括りに理解することが難しいのが事実です。「若者の研究所」は、そんな多様な彼らの行動や価値観をより深く掘り下げた独自調査を、Z世代の当事者の目線から発信していきます。
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本レポートの著者について
Itsuki Goto|後藤 樹
株式会社バイデンハウス 学生インターン
若者の研究所 研究員