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選挙に行かなかった自分を顧みる

初めて選挙に行ったのはいつですか。どうして行こうと思ったのですか。

私は今年で20歳になった。
しかしまだ一度も選挙に行ったことがない。
選挙の機会はあった。でも行かなかった。

選挙に行っていない人への街頭インタビュー
「政治はよくわからないから」、「私が行っても変わらないから」
そういう人たちを見て、中学高校の時、私はこんな大人には絶対にならないぞ、選挙権をもらったら行くに決まってる。そう思っていた。

しかし、今20歳になってみて、ここに投稿する機会をもらって気づいた。
あれ自分いけてないじゃん。そういう人になってるじゃん。

今年の春、ゴールデンウィークに帰省した時、これから市長選があるんだという話を祖母から聞きいた。あ、そうだったんだ、誰が選ばれるんだろうな。
それだけ、完全に他人事。自分がこれからも住むであろう場所なのに。

どうしてこんなにも関心を持たなかったのだろう。この市長選に限らず、以前にあった参議院選とかニュースに出れば見るけれど、進んで調べたりはしなかった。

選挙に行くことが正しいことで必要なことだとは知っている。
しかし、行かなかった場合の私への不利益を考えることができなかった。
誰が当選しても、学生である私は行政と関連してることは全て親にまかせっきり。影響を感じ取れない、変化がない。
よって投票しなきゃ、という焦りも理由も見つけられなかった。

選挙に行くという行為に移すことに大きな壁があるように感じられる。政治にかかわるというか、世間の動向に関心を持たなければという気持ちはある。だから新聞を読んだり、積極的にNHKを見たり。たまには国会中継でも見てみようかなんて。

でも選挙に行くというのは、新聞を読むことやテレビを見ることとは違う。
自分の頭で考えて、自分の足で投票所に向かわなければならない。
自分がいるところに投票箱が来てくれるわけでも、リモコンのスイッチを押しただけで投票できるわけではない。

選挙に行こうという心の原動力。
自分の考えを表明しようという主体的な意思が不可欠なのだ。

そういう意思はどうやったら身につくのか。

まずは自分と政治や行政との関わりを増やすことだろうか。地域のお祭りの運営に参加してみるとか、駅前の緑化活動をイベント化して参加するとか。
関わりを増やすといってもニュースを見たり新聞を読んだりという受動的なことではなくて、自分から主体的に参加、企画して地域に関わろうとする意識が重要だと思う。

自分たちが自分たちの住んでいる場所を構成しているんだ、という意識。

『「行政」と「市民」の関係は、サービスを提供する側と享受する側 』*1
という認識がいまだ強いと感じる。
イベントごとも行政側が提案するのではなく、市民側がやりたいことを提案してそこに行政側がおもしろそうだと乗っかる形が、本来の行政と市民の関係なのではないかと思う。
「自分から」という意識が芽生えれば、選挙に行くという行為もおのずと当たり前の行為になっていくのではないかと思った。

選挙に行かなくても誰にも迷惑かけないと思っていた。
『けれども、少なからず「現状を変えたい人」がいたとしても、「現状を変えたくない人(既存の組織)+投票に行かない人」が合わさった大多数にそうした意見がかき消されてしまう』*2
という現状があるようだ。
あれ、これいじめと同じだと思った。いじめを見て見ぬふりをしている人は、関係ない風を装ってもいじめっことおなじ立場になってるやつだ。
投票しないということ自体、志ある人の意見をつぶしてしまっている可能性があるのだだ。

自分の無関心により、無意識に自分が嫌悪していたものになっていたことに気が付いた。

これらのような焦りや羞恥から、これはもう選挙に行くしかないなと思い至った。
しかし、住民票を移していないことに気づき、出鼻をくじかれた思いでいる。

*1*2 「社会を変える」のはじめかた 横尾俊成著 産学社より引用



文責:髙橋理恵子(20代・大学生)

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