型化とか要件定義とか
昨日、忙しい中いわゆる営業系の登録システムを含む基盤のシステム説明を受けていた。うちは制作会社なので、その案件に至る前工程とクロージングまで面倒見ていくシステムなわけだが、事業規模ある次の会社なんで、仕事のプロセスを網羅した立派な代物のような話であった。
今のところは、悪い意味ではそんな全工程を紐づけた、立派なものではなく、お手製で限定的な情報しか入らず、ばらばらの情報をもとに営業予測も立てられず、妄想と気分の方針で、現状の状態を招いたわけだ。
おそらく、このシステム導入によって、情報の可視化については一定のめどが立つわけだが、常にインプットが求められ、登録情報がないと、案件が進まないことになるわけで。
いままでそれなりに囲んでいた、気分で何となく頼んでいたクライアントに対して、ちゃんとした要件定義を決めて握る、もしくは要件定義を提示していただくなど、まあビジネス的に至極当然な話になっていくんだと思う。
逆に型化におけるデメリットもあるわけで、「この金が尽きるまで動いていい。けど、要件は走りながら考えよう」という案件は淘汰されていくのかなと予測している。(昨日の情報を見る限り)
そのあたりの「型にはめる良し悪し」と「型にはめない良し悪し」は、サービスとかビジネスとかでよく見る話ではあるんだけど、なんとなく周りを見る限り「型にはまっていない=属人的」というレッテルを貼る癖があるような気がしている。
どっちがいいとかどっちが悪いじゃなくて、最終成果物を出すうえでのメリット、デメリットがあるだけで、成果物の短中長期の効果予測にのっとって、判断すればいいだけの話な気がしている。
幸いにして、いろいろ体制・プロジェクトが瓦解した関係で(泣ける)、型が堅めの案件だけが残ったので、なんとなく4月以降の既存案件は、汗かけばなんとかなるかなあと思いつつ、来期体制的に「型にはまってない系」もしくは、「いままではめていなかった系」の人と予算がつきそうなので、いまからいろいろ考えておかないとなあと思っていたりする。
なんとなく頭の中の整理のために書き出すと、要件を決める前工程の費用感(時間請求or企画書のドキュメントの買い取り)と、成果物に対する費用感は分けるとして、決まった予算の中で、どうつじつまを合わせるかなんだろうね。
おそらく、前工程の時間はきっちり取りつつ、成果物の費用感はわざと抑えめにして、要件を決める中でいろいろ出てくるわがままを言わせて、結果予算を合わせて行っちゃうのが、先方が決めた感が出るのかもしれない。
けど、結局のところ、案外「論理的に判断・決定」する人たちって、肌感覚だと半分いるかいないなので、「感覚判断派、気分で言っちゃう派」に対する作戦も考えないといけないんだよなあ。と、唯一の休みなのに、こういうことを朝から考えてもにょつく土曜日なのでした。