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思い込みによる○○に違いないの怖さ

今日の散歩音楽はウィングス。懐かしいね。

散歩する少し前にとある動画を見てた時に、話者の体調不良のお詫びからスタートしていたんだけど、とある人から「○ロナだったんですね」的なコメントが。本人は一言も言ってないんだけどご時世柄なのかとも思いつつ、一方で何かしら違和感が。そして「あっ、これか」と。

早まった一般化(はやまったいっぱんか、Hasty generalization)とは、形式的な誤謬または詭弁の一つ。以下のような論証形式の推論をいう。類推の危険とも。
AはXである。BもXである。CもXである。DもXである。したがって、いかなる場合もXである。
この形式は論理的に妥当でない。

今回の場合だと複数の類推すらない上で「これだ」と断定してるわけだ。調べていると某論破王が多用するとか出てくるけど、今回の例でもあるように「きっとこうに違いない」という思い込みが世の中にはいっぱいある。最近見た記事だと

ここでいうと「従来通りに管理職になりたい人が多い(はず)」なんだけど、実際どうなんだろうか。そもそも管理職望んでいる人が過去と比べて多いソースはなくて、出されたのは「とある人の声」と客観的情報の羅列でしかない。

でも同時にこういうストーリーラインって巷では溢れてるし、自分が書く文章も数的論理性が破断しているものなんて紐解けばいくらでも出てくるだろう。つまり取り上げた記事と同様に「きっとこうに違いない」という思い込みをする人は多いのかもしれない。

そういう意味で、僕も含め「思い込みによる○○に違いない」は常に疑ってかからないと危険なのかもしれないですね。

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かわむら よしひろ
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