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抽象概念の共有の話

書籍「サピエンス全史」によれば、人間社会で信じられる多くの価値観(民族、性別、宗教、金銭など)という架空の抽象概念を集団で共有することで、ホモ・サピエンスは多くの人数の集団を構成できたという。

この抽象概念の共有って、多分僕らは日々無意識のうちにやってて、このネットワーク社会からすると小さい単位で容易に見つかるから、ちょっとした仲間意識がスッと形作られる。

想像するに幕末の坂本龍馬が足しげく藩邸を通い説得しとかせずとも一個のツイートでほわっとした共同体ができてしまうんだろう。そして幕末なら尊王攘夷か開国かという大きな単位だったものがより細かく複雑な単位になっていることに気づく。

それこそ最近だとサイゼリヤで喜ぶ彼女論争など「人んちのデートまで知らないよ」というレベルまで正しい間違いの論争になるレベルだ。これってこの時代の情報伝達スピードがあって初めて細い概念共有ができるからこそ発生する事象と言える。

でもこのレベルだとどっちが正しいではなく「どっちの層も絶対いる」話で粒度が細かすぎるんですよね。だからどっちもいるし、どちらも多数派とはなり得ない。

この話って多分今の国家維持に多分に影響があって、大きい単位の共同体が作りづらくなっている。だから最近特に大きい人口のいる西側諸国の不安定さにも現れて来ているのかなと。だからこそ悪い意味での情報統制もやむなしという論調も出てくるだと思う。そして中国はそれを意識的に行なっていると。

そういう意味で僕らはこの抽象概念の共有の大きさや粒度がどんなものかを把握する意思と同時に「その概念外の層はいる」という前提でどう立ち振る舞いをするかという訓練を意識的にしないとまずいということだ。全く厄介な時代になったものです。

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かわむら よしひろ
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