いいねと、noteの設計思想
毎度書いているが、けっこうここは思ったままなことを書いている場所だ。けど「いいね」ってつくことは単純に嬉しい。やはり人間だから多少の承認欲求はあるのかもしれない。
例えばInstagramとかだと写真を見た瞬間、それこそコンマ数秒の間に脳髄が反射して押してる気もするけど、note且つ読み物の場合ってどうなんだと思う。
構造上は、タイムライン上と記事の末端導線に二箇所で配置されている。おそらく写真と記事両方機能させる配慮とウェブ構造的にコンバージョンポイントは「挟み込むべし」というセオリーから来ていることも挙げられる。
自分の記事でも多い傾向だが、実は長文の場合この挟み込む間が長くなるため、おそらく読み疲れも出るのではないかと推測している (特に自分の場合、構成より勢いなので顕著)
とはいえ設計する側としては、きちんと読んでいいねと思った人に提供すべきという意図を感じる。誠実さというか。これは記事の購入導線も末端にしかないことでも同じことが言える。
よく「興味あれば投げ銭お願いします」とあるが、YouTubeの投げ銭のような「途中での投げ込み」は原則ないので、「この記事のここが響く」タイミングでの賽銭はできない。
つまり投げ銭ではなくあくまで読後の評価として、アクションすることが前提と言える。
こういう設計者の意図が明確なUIの場合、フォロー数の多さといいねの関係ってInstagramのような「瞬間評価」での効果は大きそう。
効果が出そうな仮説として考えられるのは「その人の純粋なファン」「写真の評価」「文頭の引き込み」でしょうか。
ちなみに自分のこの記事の文頭は完全にまずい。ただの独白であった。おそらく結論を先に述べるなどの工夫は必要かもねしれないですね。
写真は滋賀、湖西線。
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