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余生とか有名人の所有感についての話

西田敏行さんが亡くなったニュースを聞いて思う。急逝って他人にとっては悲しいのだけど、ベッドで寝たきり10年にならないわけで。

このこの世から居なくなる余生をどこで切るかって難しいよね。自身の場合、感覚的には「あとがないな」と思って3か月ぐらい介護支援的な感じになったが、いい面(両親との対話の時間)、悪い面(介護疲れ)があった。ほんとこの世はいい面、悪い面は表裏一体だ。

でもこう俳優であったり、アイドルであったりの話となると何故か自身の所有物のように「何を不謹慎なことを言っているんだ」的な声も多い。こうパブリックな偶像な行為こそ相当不謹慎なのだが、公的な場所に出ることと所有感は連動して当たり前の風潮がある。つまりその人にとっては「ぼくが知らないうちになんで?」という思考になるのだろう。

この手の話はおそらく主語が大きい言質にも表れる。「今の社会は」「日本は」「男が女が」その瞬間その人にとっては唯一神なのだろう。でも一方で八百万の神の世界線もあるわけだ。ぼくはどちらかと言うと後者でありたいと思う側。どれだけ経験積んでも一個人に全てを解決できる力はない。重要なのは今できることに最善を尽くすだけだから。

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かわむら よしひろ
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