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多様な意見が言える社会

とある記事の中で「報道しない自由」というキーワードがあって「確かに」と思いつつ、要は編集権は発信側にイニシアチブあるのよね。ここnoteも同じで、書く人が一番書きたいことを書く権利を有している。
SNSが1億人総メディアであって、1億人総ライターでエッセイストであるわけだ。だから人によって、さまざまな意見があるのは当然だし、環境やそれぞれの視座で見え方が違うはずだ。

例えばどこかの記事で京都が東京化しつつある話をしていた。僕も学生から30年ぐらい行き来しているので東京資本が洛中で入ってきている空気感は理解できる。
でも自分はけっこう洛北を彷徨くため、露骨な東京化はない。けどポツポツといい雰囲気の店もあって。できた経緯を聞くと子供が東京からUターンしてたりとかもう少し街の変化にも場所や出来る経緯にはグラデーションがあることに気づく。
これも複数の視座だから出てくる印象の違いだけど、おそらくどちらも正しいのだろう。

重要なことは「どちらも正しい」ということ。そしてこれらの情報を複数得ることで実像に近づけることだ。
イーロンマスクが「言論の自由を得るためTwitterを買収した。言論の自由は民主主義の根幹だ」と言っていた。イーロンマスク自体の人間性に人によっては首を傾げるが、重要なのは人間性の良し悪しではなく「行なったこと」が最重要だと思う。
個人的に自由に思ったことが言えること、その発言を弾圧しない社会が一番だと思っている。一方でいまそれを圧殺させたい人も増えてきているよね。

ほんと怖い時代です。

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かわむら よしひろ
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