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メディテーションを体験したら、翌日に変化があったかもしれない話

金曜の夜、「メディテーション」というものを体験してきた。

場所は表参道、A5出口から徒歩数分。静かなところにひっそりとある会場。

さてメディテーションとは、…とご紹介したいのはやまやまなのだが、今回はさっそく『他力本願』というカードを切りたい。

トップ画像を私が真似したのでまぎらわしいが、このNobuさんの投稿を読んで『Medicha』でのメディテーションの流れと雰囲気を味わっていただきたい。

私は自分が感じたことと、翌日発見したことを書いてみようと思う。いつにも増して内容のわりに長いが、お付き合いいただけると信じている。


「くつろいでいい」と言われるとくつろげない自分

あ、わたしくつろげない。

「01 Turn in」「02 Open up」のあいだ、そう感じた。

音や光の空間設計は大変興味深く、貴重な経験となったのだが…どうも自分にはそこでくつろいだり集中することができない。

なんでだろう。わたしがいけないのかしら。
せっかく紹介してもらったのに。これじゃ申し訳ない…。

手首にアロマを垂らし、楽な姿勢で受けるガイダンス「03 Shift」の間も同様だった。
アロマはさりげない存在感ながらもいい香りだし、体は緩んでいるのだが気持ちがあんまり緩まない。

よく考えたら、今回に限らず自分は、
「集中しましょう」「リラックスしてください」と言われるとその通りにできない傾向があるのだ。

反対に、人が多く雑然とした場でひとりぼーっとしたり、思考の中に没入してしまうことがある。

要は「あまのじゃく」なのかもしれない。

しかし最後の「04 Align」では不思議と落ち着いた。自分のために丁寧に淹れるお茶、大切にしつらえられた空間。ゆらめく小さな炎。お線香の香り。

日頃も家でお茶を淹れるときが幸せを感じる瞬間だが、ここでもその時間をより味わえる体験だった。

外に出て感じる違和感

体験を終え、建物を出る。
表参道の駅に着くと、たちまち人が増える。

人混みの中を歩くうち、違和感があるのにふと気づいた。『なんか、作りものみたい』

Medichaでの体験こそ日頃とはちがう特別な時間、空間を味わうものだと認識していたのに。

なぜだろう。帰ってきた外の世界のほうが作りものに思える。ぎこちなくて、人工的なかんじ。

忙しなく改札をくぐり抜けていく人や会社の同僚とおしゃべりして歩く人たち。

さっきまで自分もそのなかの1人だったはずなのに、なぜか違和感を感じた。

考えひろがる土曜日の朝

翌朝、たっぷり眠って自然に目が覚める。

左手首を鼻に近づけると、まだほんのりアロマの匂いが。炎の光もぼんやりよみがえる。

朝ごはんを食べ、皿洗いをしながらふと考えた。仕事のこと、友達のこと。家族のこと。

そして何のきっかけがあったか思い出せないが『挫折したことがないのは、挑戦したことがないからだよ』という言葉がふと蘇ってきた。

4年前、就活中に自分が言われた言葉である。

人に話したこともあるが、今日はなぜか「あれってほんとうかな」と疑問が浮かんだ。

言われた当時、私は『そのとおりだな』と思った。習っていたピアノも、文章を書くことも、極めようとしなかった。のほほんと子ども時代を過ごしてのほほんと大きくなった。

だからエントリーシートを書くとき「挫折経験って言われても、とくにないんだよな」と思っていて、その時期知り合った人にそのことを話したのだ。

『挑戦しなければ、挫折もしない。挫折したことがないのは、挑戦したことがないからなんじゃない?』

自分の痛いところを突かれた気がして、少し落ち込んだ。その反面、そうだよなー、そうなんだよなーと納得する自分も。

私はひとつのことをがんばれない質なんだ。あれこれ手を出したくなるけどすべてを犠牲にしても何かをやり遂げる、ということができないんだ。

諦めにも近いような気持ちを抱きつつ、「マルチ・ポテンシャライト」という本を読んだときはひとつのことだけをがんばれなくてもいいんだと思い直したりもした。

そして今朝だが、あの言葉を思い出したときにまたちがう考えが頭の中にやってきた。

私って、“挑戦したくないもの”に挑戦しなかっただけなんじゃない?

本気でピアニストになることを目指さなかったのは、練習が苦痛だったから。ピアノは好きだけど、椅子にずっと座っていることができないから。そこまでしてやって、ピアノの音すらも嫌いになるのがこわかったから。

小説家になることに挑戦しなかったのは、物語を作るより、感じたことを小さく書きとめるほうが好きだと思ったから。面白い「お話」を書こうとすると手が止まってしまう。そういうものは、読んで感想をメモしたり人に話すほうが楽しいと気づいたから。

自分ができていないことをやり遂げている人はすごいと思うし、能力そのもの以上にそれに挑戦したことや継続していることを尊敬する。

でも、よく考えたら私がやってきたことも人からしたら「挑戦」に見えることがあるかもしれないと今朝は思ったのだ。

たとえば、大学受験。
ここからまた長くなるが、7年前の私を振り返りたい。

蘇る記憶、「宝くじ」への挑戦

高校2年の冬、私は横浜国立大学の教育人間科学部を第一志望にすることにした。

ほんとうは筑波大学で文化人類学を勉強したいというきもちもあったけれど、この世で1番苦手な数学が二次試験までつきまとうことを知りあっさり引き下がった。

さてどんな受験方法があるのかな、と調べてみると、横国の教育人間科学部では「一般公募推薦試験」があることを知り、ひらめいた。

「私が受ける試験、これです。ペーパーテスト受けずにこれで大学入ります」

先生たちからは、驚かれたし止められた。「いやいや、あおやぎの成績なら指定校推薦も可能だし、それよりも普通にセンターと二次試験で横国合格は狙えるよ」

担任の先生だけでなく進路指導の先生からも考え直すように言われた。本当のところはわからないが、一般公募で横国に入ろうとする生徒がそれまでほとんどいなかったのではないかと思う。成績がそこそこよくて勉強意欲もある生徒なら、私が先生でもペーパーテスト受験を勧めるだろう。公募試験のために準備する時間と労力がもったいないから。

しかし、私は答えのあるテストがどうにも苦手なのだ。それよりも、自分の考えを問われたり、感じていることをまとめるよう求められるテストの方がよっぽどいい。

だから結局、推薦・自己PR書類+小論文2つ+面接というこの一般公募試験を受けることにした。

現代文の先生に小論文対策指導をお願いし、高2の冬から週に何回かノートをやり取りし始めた。新聞記事を読んで要約・感想を書き、なじみのない語句は調べてまとめる。

初めはもちろんペーパー試験のための勉強もしっかりしていた。公募試験はひとつの「追加選択肢」としてのチャレンジ。落ちても、ペーパーで合格すればいい。先生の多くはおそらくそう思っていたし、実際三者面談で学校に来た母は進路指導の先生に「まあお母さん、公募は宝くじみたいなものですから」とも言われている。

しかしそう言われると公募で受かりたくなるのがこの私、あまのじゃくあおやぎである。

「なんか私、秋の公募で受かる気がする」と思い始め、だんだんとザ・お勉強よりも小論文の練習のほうに力が入ってくる。

それでも人の目というものがあるので高3の7月までは、まだがりがり勉強しているふり。県内では進学校と呼ばれる高校なので、東大などがっつりお勉強の必要な大学を志望する人も比較的多い。その空気は私も読んでいた。

しかし夏休みに入るともう公募で受かることしか考えられなかった。せっかく小論文と面接の試験があるのに、それに落ちたらセンター試験、二次試験、と2回も「答えのあるテスト」を受けなくてはならない。万が一体調を崩したり問題が難しかったりしたらどうなる?むりむりむり。やだやだやだ。

とうとう、夏休みに入ると私はザ・お勉強を放棄した。本当に1日も、いや1分もやらなかった。正確に言うと休み中も先生に小論文のノートを渡すために学校には行ったので、ついでに自習室で英語のリスニングは勉強した。英語を聞くのは好きなのでリスニングは毎日気分転換にやっていたら、休み明けの模試は40点も上がった。好きで毎日やることの効果というものは馬鹿にならない。

と自分で書いていて本当におそろしいが、高3の夏に私がやっていたのは、本を読んだり小論文を書くことと英語のリスニングだけ。「宝くじ」と言われた試験だけを受けようとしている。でもそれに受かる予定なので、ペーパーテストのお勉強はもういいや。そんな気持ちすらもっていた。

そして公募の1ヶ月前からは、小論文に加えて面接の練習も毎日した。文字通り、毎日。
学校の先生にも練習はたのめるが、主に家で母を相手に練習した。

「入室」から「退室」まで動画を撮り、練習のあとは2人でそれをみた。「話し方にクセがあるね」「うわほんとだ、なんか語尾がきもちわるい」「右肩上がってるよ」「そうね、首も曲がってるなあ」「質問されたあと、一拍置いたほうが落ち着いてる印象与えるよ」「機械的に喋りだすかんじになってるもんね」

自分が人前で真剣に話すときに出てしまうクセを知り、何回も調整した。実は元女優か?と思うほど迫真の演技で「嫌な面接官」を演じてくる母には本気でびびり、何度も「退室」したくなったが逃げなかった。私が本番でどんな質問をされても落ち着いていられるようにという真意がみえるから。

いよいよ本番の1週間前となると父も面白がって面接官に加わり、両親揃ってソフトな面接官とハードな面接官という連携プレイで相手をしてくれた。

そして迎えた当日。会場にはたくさん高校生がいた。小論文の会場で隣の席をふと見ると、生真面目そうな男の子。私が散々読み込んだ教育関連の本と同じものを開いていて、目を落としている。しかしそこには、明らかな違いを見つけた。

本が綺麗なのだ。昨日買ったのかな?と思うような、シワやふせん、マーカーの跡のないページ。それを申し訳程度にパラパラとめくっている。

ここで出てくるのが、底意地の悪いあおやぎ。
鞄から彼と同じ本を取り出してページを開く。
こちらは希少な古書か?と思うほどボロボロでマーカー跡のカラフルさ、付箋や書き込みが目立つ本。

読み始めてすぐ隣の彼の視線を感じた。
そして明らかにそわそわしている。
そりゃそうだ。自分がもっているのと同じ本を明らかに自分より読み込んできた奴がわざわざそれをアピールしている。私だったら張り倒したい。

しかしこちらは安心した。大丈夫だ、私のやってきたことはまちがってない。というか、「受かればラッキー」くらいの気持ちで受けにきた奴に、負けてたまるか。こっちは夏休み中、お勉強してないんだ!

小論文は、面白いテーマだった。しかしすでに何回も取り組んできたテーマだった。小論文の試験そのものに対する練習を積んだので、何をすればいいか体が覚えている。さっさと要約を済ませ構成を組み立て、自分の論に不自然な点がないか確認する。よし、これで書いてみよう。書いてみて素読み、違和感のあるところを再検討。しつこく違和感の残るところを再々検討…『おっと、なんかおかしいと思ったらテーマをちょっと捉え違えてた』と気づき、時間を気にしつつ方向修正。改めて構成を確認し…とやっていたら、なんとか書き終えた。

ギリギリになっちゃったな、と時計を見るとなんと15分余っている。書き直したのに…と不思議に感じて、思い出した。いつもはスタートと同時に頭を5分進めていたのだ。頭の回転に不安のある私はのんびりしているとタイムアウトになる。だから時計の時間より5分進めて考えることで余裕をつくっていた。

周りはやけに早く終わっている様子の人から「終了です」の合図と同時に書き終えた素振りの人まで様々だったが、自分は練習の成果を出せたような気がした。

面接も「こんなものなのか」と思うほど、ごく普通のものだった。でも振り返ると、もし1.2回しか練習していない状態で受けていたら違ったのだろうと思う。待ち時間に緊張してがたがたしている人もいたし、暗い顔で出てきた人もいた。1ヶ月みっちり練習してきた受験生なんて、私くらいだったのではないか。練習で鍛えてくれた母の方がよっぽど怖い面接官だった。

PCに張り込み、母とジャンプ

2日間の公募推薦試験は結果、合格した。
神奈川県民なので全国枠と地域枠、2日間受けられたことはありがたいことだったが、どうやらより狭い枠の方で合格できたようだった。

オンラインで結果が発表されたとき、私と母は「あった!!」と飛び上がった。
自分の番号がそこにある。何度もPC画面を確認して、喜んだ。生まれて初めて、体育以外でジャンプした。

それと同時に「受験に合格したんだ」という実感がやってきた。週明けに学校で進路指導の先生に「あおやぎ、どうだった!?」と聞かれると「先生〜受かりました〜」とのほほんと報告。

「宝くじ」と言っていたこの先生が、すごく喜んでくれた。土日はどきどきしていたらしい。
「おまえ、早く言えよ〜〜〜」と大袈裟に息をついている。なんだ、宝くじみたいなものって言ったのに、気にしてくれていたのか。

小論文の先生にも担任の先生にも報告して私の公募推薦受験はめでたく終了となった。

過去の選択の再定義

先生たちも気がかりだったと思う。普通に勉強すればペーパー試験で合格できそうな生徒が、合格の保証のない試験で受かろうとしたら。

それでも「でも、受けます」と言って聞かない私を応援して、忙しい最中に書類を作ったり調子を気にかけてくださった。改めていろんな先生にサポートされていたのだなと感じる。

後日談だが、翌年にも同じ試験で同じ大学に入りたい受験生がいたらしい。部活の後輩を通じてその子から「アドバイスください」と連絡が来たので、私は全力で応援した。

応援といっても、自分がやったこと、つまり現代文の先生に頼めば数年前に同じ試験を受けた先輩(合格ではなかったらしいが)の小論文練習記録を見せてもらえること、その先生に指導を頼むことを勧めるということ、面接は甘くみないで何十回も練習しておくと本番が楽であるということを伝えただけ。

それくらいしかできることはなかったが、彼女も無事、公募で合格したらしい。2年続けて「宝くじ」の試験で合格者がでたことは、おそらく先生方を多少なりとも驚かせたのではないだろうか。

もっとも、宝くじといっても倍率は8倍か9倍くらいだった。大学入試としては高いのかもしれないが、そこに本気で取り組めば無理な数字ではない。やる価値は十分にある。

だから、私はこう思っている。
あの受験は私にとって「挑戦」だったのではないかと。

進学校の受験生なのに、お勉強しないで手当たり次第に本を読んだり小論文を書いている。同級生が模試の結果に悩んでいるとき、面接で何を聞かれるかに頭を悩ませている。

今思うと、それは私にとって少なくない負荷がかかることだった。情報が少なく、具体的な目標も立てにくい公募試験。どれくらい対策すれば大丈夫、と言えないものだ。それでも「面白そう」と思ったし、答えのある試験が苦手な自分は、このチャンスを逃してはならないと思った。

7年前の受験を振り返って、自分の行動の中では「挑戦」だったと今は思う。日本一、とか世界へ羽ばたく、といった華やかな挑戦ではないけれど、命も賭けてないけれど、それでも私なりの挑戦だった。

そう思うと、過去の自分の選択は再定義することができるのかもしれない。

あれもできなかったこれもできなかった、と思ってしまいがちだけれど、私は案外ちゃんと選んでいる。

もちろん後悔もあるし「やっぱりあれに挑戦しておけば今はちがった人生を歩んでいるかも」とうじうじすることはある。

でも、そんなときは自分に言いたい。
「だってあの時は挑戦したくなかったんだから、しょうがないじゃん」と。

時間が経ってから後悔したなら、その時に始めればいいのだ。今からやればいいのだ。
やらないと「やらなかった」が継続するだけだが、今始めれば「やらなかった」は終了するし、新しい可能性がひろがる。

それに、選ばなかった分だけ、きっと何かを選んでいる。目の前にあるものや経験を見つめ直してみたら、「選択したもの」の結果でできているのが今の自分だということに気づく。

そんなことを感じたのだった。

さらに考え広がる土曜の朝

文字数制限がないというのはおそろしい。
こんなに長い文章を書いてきたのに、止めてくれものがなにもない。noteはおそろしい。

受験のことを思い出して「自分は挑戦したいところは挑戦している」と気づいた私。

しかしそうなると不思議なのは、「挫折してないのは挑戦してないからだよ」の言葉がどうしてこんなにも自分に刺さってしまっていたのか、ということだ。

7年越しに過去の再定義をするくらいならもっと早く乗り越えられそうなものなのに。

なんとなく思ったのは「私は社会を主語にされると疑いをもつけど、自分を主語にされると素直に飲み込んでしまうのでは?」ということ。

映画でも小説でもWebメディアでも、「社会の圧力に立ち向かう」「社会の常識を覆す」というテーマが好きだ。主人公を応援したくなる。自分も圧力やら常識というものへの反感をどこかに持っているのかもしれない。

だからドラマ『僕らは奇跡でできている』も心に響いたのだと思う。常識を振りかざす人たちと相河一輝のちがいが自分にとって魅力的だった。彼は「立ち向かう」わけではなく、世界の不思議に感動する、おもしろがる天才という姿で描かれていたけれど。

でも私は、「あなたってさ」と言われるとどうやらそれを信じてしまう。「あなたは挑戦してない」→「そうかも…」「あなたは客観的でありすぎる、自分をもっと出した方がいい」→「そうかも…」という具合に。

社会を主語にされると疑いをもつが、あなた=私を主語にされると、疑いにくいのだ。

なぜだろう。逆ならありそうなものだが。

絶対的な自己肯定感が足らないのか?と考えたりもしたが、幸いにもその心配はない気がする。私はできないことがたくさんあって、いろいろと偏りのある人間だけれど、それでも生きていくことに迷いはない。そのベースを支えてくれた人たちには感謝に尽きる。

理由はまだわからないけれど、自分にとってどんな言葉が刺さるかという傾向がわかったようだ。

刺させておいていい言葉なのか、刺さっていることに疑問を持つべき言葉なのか。

これが日々自分を観察するということにつながるのかもしれないな、と思う。


自分を助ける言葉

ようやく終わりが見えてきたところで、この言葉を紹介したい。

「世の中はあなたの声を必要としている。だから他人が考える『あなたってこういう人』という虚像に、自分をあわせようとするのはやめて。相手に真剣に自分を見てもらうの。自分をわかってもらうのよ」

海と月社さんから出ている「自分で『始めた』女たち」に登場するライター、編集者のダニエル・ヘンダーソンの言葉だ。

昨日までは、迷いがあった。ほかの人の言葉で『他人から見た自分が自分』というものも目にしたことがあって、そこに頷く部分もあったからだ。ヘンダーソンの言葉を信じたい一方で、信じ切れない自分がいた。

しかし、今の私が心を動かされるのは彼女のこのメッセージだと、はっきり言える。

歯がゆくて、なりたい自分になれなくて。そんなときに「あなたってこういう人」と言われたらそれを信じてしまいそうになる。落ち込んだりあきらめてしまいそうになる。

けれど、そんなものは虚像でしかない。

その人があなたでない以上、あなたがどんな人間かはあなたが決めることだ。

過去の再定義ができた今朝、自分を刺したり縛ったりしている言葉をそのままにしておいていいかどうか、私は考え直すようにしたいと感じた。

そして、できることならそれらを「自分を助ける言葉」に変えていきたい。

やっと、おわりに

長い長い文章を読んでくださった方は、この投稿のタイトルを覚えているだろうか。そう、タイトルは「メディテーションを体験したら、翌日に変化があったかもしれない話」だった。

「メディ…?」となっている方はもう一度最初のNobuさんの投稿だけ読んでもらって、あとは気持ちよく眠っていただけたらと思う。

結局私が言いたかったのは「メディテーションを体験したときはあんまり集中できなかったと思っていたけれど、翌朝目が覚めたらなんだかいつもよりも頭がすっきりしていて、一瞬で過去のことから現在のことまでをとらえなおして、一歩前に進めるような気がしたよ」ということである。その実、わずか108字。たったの108字で言えることをなんと8585字、約80倍の文字数で書いてしまった。

えっ?8585字?そんなに書いた?

これが「小論文の練習をたくさんしました」と鼻息荒く書いた人間の所業とは思えない……。

いや、やはり文章は長く書くよりも短く書くほうが難しいのだ。

もし万が一この投稿を現代文の先生に見られようものなら「高校生からやり直し」と言われるかもしれない…。

そうそう、そういえば現代文のあの先生が勧めてくれたある1冊の本がきっかけで、私は今の仕事に就いている。そんなことも思い出した。

人生、いつどこで、何がどうつながるかはわからない。わからないから、おもしろい。

未来や過去に気をとられすぎず、「今」を大切にすることを心がけていこう。

ひとつの方向性が見えてきた土曜日だった。


#エッセイ #メディテーション #Medicha  #君のことばに救われた 






読んでくださってありがとうございます!