産まれるとは
小学生のとき
水彩絵の具の風景画の宿題があって
アクリルみたいにベタ塗りして描きたくて
(その時はアクリル絵の具なんて知らないけど)
そしたら絵が上手い親戚が
風景はこうやって描くの、と
水で薄めて点を打って葉っぱを表現し始めた。
そうか!
と思った。
🌱
時が流れて10年後
中学生になって、
華が描いた絵を見たその人が
「おお、細かくなってきたね」
と言った。
(見てたのかよ!)
と思った。
見てないと思ってたし
華が絵を描くのが好きなことなんて
知らないと思ってた
華が何をしようが、
華が何を描こうが
華がどう生きようが
勝手でしょ!と思っていたけど
見てんだなあ、
見られてんだなあ、
と知る。
何とは言わないが
子どもは期待されている。
ただ生きてくれ
とだけ思うのはかなり難しい。
なんとなく期待してしまうらしい。
なぜなら、
私は長女初孫初姪初ひ孫。
そして長女初孫初姪初ひ孫初玄孫を産んだ。
玄孫って実在できるんだ、と笑った。
玄孫を抱いて、100日経って、
ひいひいおばあちゃんは亡くなった。
1人目って良いけど、たまによくない。
スイカを独り占めするモクを見て
かわいいなと思う。
1人で自由で。
わたしは、ただ、娘に
生きてくれとだけ、願う。
あわよくば、楽しく
できれば、自分らしく…
…
ほらね、親の欲が出るでしょ
生きてて欲しいだけなのに。
勉強できて欲しいだとか、何かで成果を出して欲しいだなんてとんでもないよ、おこがましい。命に失礼だ。
と、私は思う。
そんなこと言わないように、自分に色々課してみる。
勉強がどれだけ楽しいか、泳ぐのがどれだけ難しいか、
絵を描くのがどれだけ大変か、筆を持つことがどれだけ楽しいことか、好きなことを続けることはどういうことなのか、
知らないとテキトーなこと言っちゃうから
知るのです。自分はこう思ってる、と
自分の意思を持つのです。