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更年期障害の母にとってなぜ 大学生の子供との生活はきっついのか

多分更年期障害を迎えて5年くらいになる。
多分と言うのは最初の頃、自分に一体何が起きているのか分からなかったし、今も100%そう言い切れないからだ。
サプリをやったら試したり、心療内科にも行ったりした。婦人科も大分行ったが、未だすっきりとはしていない。ただ、近年、一般的に取り上げられるようになった更年期障害についての情報を見ると私のこの状態は多分更年期障害なんだろうな、と思うからだ。

不調のタイミングは離婚を経験したのと近い頃だったので、それがショック要因として扱われがちだが、断言してもいい、離婚のダメージがあったとしたら、解放感で気が緩みそれまでの負荷が一気にやってきたのだと。
もしくは自分がなると夢にも思ってもいなかった大黒柱としての負荷がリアルにのしかかってきたからかもしれない。

どちらにしろ、いずれ一家解散を考えていた私にとって離婚そのものの心理的打撃はそう大きくはない。
ただ、ともかく一人で、子供達をあまり不自由なくどう育て上げるかということだけを考え思い、生きることにはなった。

このなんとなく不調な5年間、長女が大学生になり今次女が大学生だ。ひたすらにありがたいことだ感じている。

ただ、長女の時すごく思ったのだが、今次女がそうなって、改めて思っている。どうしてこう大学生との生活は色んな意味で更年期障害状態の母にとってきっついのか。と。長女の時は彼女の性格がそうさせているのかと思っていたが、タイプの違う次女でもそう思うので、なるほど、大学生という立場の人との生活が更年期障害状態の自分にとってきっついのか、と。

冷静に理由を考えてみた。

  1. 当然だが子供がどんどん自立するタイミングとなる。

  2. 当然だが子供が我が世の春状態になる。

  3. 当然だが子供が伸び伸びと自分中心の生活になる。

  4. その一方で自分は不調状態。

単純に言うと、これまで自分の金と時間などなどを注ぎ込んできた人が、その力や個性に目覚め、広い世界へ飛び立ち始める自由闊達な”これから”な状態になり、不調な上、年取ることを実感として分かるようになっている自分はそれを日々目の当たりにしている、という生活なのだ。

当たり前だが大学生になると生活スタイルが激変し、起きる時間も寝る時間も外出する時間も帰宅時間も激しく自由になる。
高校生まではある程度共有できていたスケジュールはほぼなくなる。
更に娘だと、肌の色つや、髪の豊かさ、化粧やファッションの腕を上げていくきらきらの進化が目の前で展開されるわけで、あらたかた子供が育ちあがった段階で搾りかす感があり、淡々と自分の生活を送りたい自分にとってはかなりまぶしいのだ。

きっついなーと思いながら、非常に喜ばしいことだと心から思っているので、今は金を払いながら家政婦をさせてもらっているような状態かもしれない。
それに娘達と私の関係は良好だ。(娘達に聞いてもらってもいいくらい)
でも大学と同時に一人暮らしさせるのは理にかなっているな、とひしひしと感じたりもする。残念ながらうちはコスト削減の為にも同居がもうしばらく続く。

そして母はその大学生が気持ちよーく巣立ち1人になる日を楽しみにすることにするのである。ストレッチや散歩を欠かさないように、と自分に言い聞かせつつ。。。


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