家族とは異文化持ち寄りの場
私は6年前まで、4人同居の家族の一員だった。
過去形なのは、私と夫が離婚し、長女が結婚し、次女も巣立ちの準備をしている今日この頃だからだ。
あまり器用でない私は、この4人同居の家族という形態の中で仕事やら、子供のことやら、家のことやら日々の生活の雑事をジャグリングするので精一杯で、自分の現状を俯瞰して見る余裕などまったくなかった。
そしてよく1人になりたいと思っていた。その状況が刻々と近付いている今日この頃、ようやく分かったことがある。
それは家族が異文化の持ち寄りの場だ、ということだ。
子供達が学校や友達から見聞きしたり、体験したことを家で話す。親が職場や知人からの情報を伝える。それぞれの好きなものを手に入れ、お互いの興味の場を訪れ、共有する。。。おかげで当時の子供達の数々の流行りを知ったり、物事に対する異なった視点に気付かされたことが多々あった。また、そう思えるのは家族間のコミュニケーションがうまく行っていたことの証明でもあるので(少なくともある一定の時期は。。。)、この4人家族経験ができたことには感謝しかない。
異なる文化の持ち寄りの場である家族の中では、気付かなかった自分の一面も知ることになる。個人的に一番衝撃的だったのが元夫に指摘された「歯磨き粉のチューブを真ん中から握る」という点だった。些細なことだが、無意識にやっている身からすると到底一人じゃ気づけなかったことだ。相手がそんなことを気にするという事実も衝撃だったが。。。
一時期教員になることを真剣に考えたりもしたのだが、「ママ、絶対向いていないよ」と比較的”生徒”に類似した立場にいる、娘に言われたので、「そっか」と退却した経験もある。その一方で、まだ先ではあるものの、子育ては「ママに近い所で」と宣言もされた。それは、単純に手が欲しいということだけでなく、親子関係で何か肯定できる体験があったからだろう、そうあって欲しい。私自身が気づいていない、私の中のプラス面に彼女が気づいていての宣言と理解したいところだ。