和歌への情熱で道を拓く ~信念で詠み上げた和歌作品の行方~
葛藤を経てもう一度、【和歌を教える】ことを含む仕事をしてみよう、歌会の講師を引き受けよう、と決めた梶間和歌。
盟友、吉田裕子さんに誘われた歌会の第1回は2023年10月1日と決まりました。
……あっ。
この歌会に合わせて「秋浦」題で歌を詠めば、10月末締め切りの和歌大賞に間に合わせることができるかも!?
ここまでの経緯を読んでから続きもお楽しみください。
1記事目:和歌への情熱で道を拓く ~隠岐後鳥羽院大賞和歌部門への応募経緯~
2記事目:和歌への情熱で道を拓く ~和歌大賞への挑戦2年目の転機~
3記事目:和歌への情熱で道を拓く ~アルバイトでの成長と和歌指導の可能性~
和歌への情熱で道を拓く ~信念で詠み上げた和歌作品の行方~
十余年の蓄積を信じて
題は「五月雨」ですよ、「雁」ですよ、といった易しい題でなく「秋浦」という難題の出された2023年、令和五年「隠岐後鳥羽院大賞」和歌部門。
「秋の浦」という語で検索すればそれらしい歌が出てくるので、それをざっと眺めればだいたいの本意をつかむことができ、それを踏まえた和歌が詠めますよ、
……というタイプの題ではないため、取り組むのも後回し、後回しにしておりました。
「秋の志賀の浦」「秋の和歌の浦」等、それらしいものすべてを把握しその例歌を読み込むなんてとても無理、大仕事だ、とわかっていたからね。
しかし、自身講師を務める歌会の初回日時が決まり、そちらに3首、自詠を提出する必要が生まれ、
「せっかくのこの3首、和歌大賞のために使おうか」と思いつきました。
「裕泉堂歌会」は内々の、参加者以外に完全非公開になる歌会なので、
そちらに出した歌を【既発表作品は応募不可】とされる和歌大賞や短歌賞に出すことは可能なのです。
(それができない歌会もあるので、賞に応募するつもりの歌を事前に歌会に出したい場合、ご参加の歌会に確認してくださいね)
もちろん歌会の利用方法は人それぞれですので、
過去に詠んだ和歌のなかから自信作を選んで出すことも、「秋浦」と無縁の和歌を詠んで出すことも、できたのですが、
せっかくだし……ね。
和歌大賞の締め切りまで1ヶ月強。
ここまで先延ばしにしてしまった以上、「秋の浦」を扱った和歌の多くを網羅し、その本意を完璧に理解し、渾身の作を送る、ということはもう諦めるしかない。
ただ、挑戦ぐらいはしてよいはず。せっかく3首の歌を新たに詠む機会が生まれたのだ(新たに、でなくても構わないとはいえ)。
この時間のなかで可能なかぎり「秋の浦」の歌を探し、それらの本意を探り、自分でも詠んでみよう。
じゅうぶんにリサーチし、練りに練る時間はない。
しかし、これまで10年以上、全身全霊で和歌に向き合ってきた蓄積はあるわけで。
限られた時間のなかでの真剣さと、過去十余年の蓄積の真剣さを掛け合わせれば、最低限、人様にお見せできる歌は詠出できる。
そのくらいの自信は、持っていいと思うのよね。これまで付けてきた力に対して。
プチ完璧主義の私も「もうダメでもともと! やるだけやろう」と切り替え、
「裕泉堂歌会」用の和歌3首を、「隠岐後鳥羽院大賞」の題である「秋浦」で詠むことにしたのでした。
なお、歌会用の歌は3首ですが、和歌大賞への応募は2首。
できれば10首ぐらい「秋浦」で詠んだなかから出来の良い3首を歌会に出し、そちらでの反応も見て2首を選び、和歌大賞に出そう、
という方向性を定めました。
「秋浦」詠に取り組む過程、一挙公開
「秋の浦」で詠まれた例歌については無知でも、
「秋」の歌なのだから、「わーい、楽しいな♪ 」みたいな方向性はアウト(それは現代短歌でやればよろしい)、
秋の憂愁、理由もなくもの思いしてしまったり涙がこぼれたりするしんみりした雰囲気で詠むべきであろう、
という想定はできました。常識的に。
ただ、個人的な好みとして、どんなに控えめであっても作中主体の「寂しい、哀しい、せつない」などの主観が前面に出るタイプの歌の詠み方はしたくない。
そこは新古今和歌と京極派和歌(特に叙景歌)を愛してきた者として、意図しなくともそうなるだろう方向性です。
実際に「秋の浦」の歌を調べるにあたり、お世話になったのは「和歌と俳句」様というサイトさんでした。
そのなかの「歌枕」というところにアクセス。
こちらで「浦」のワード検索を掛け、
該当するページに示された和歌のうち、「秋」のそれらしいものをピックアップします。
俳句や近代短歌も併せて掲載しているサイトさんなので、それらは排除。
和歌との断絶を経て開拓された近代短歌を、和歌を詠むために参照するのは、お門違いですからね。
また「浦」で引っ掛からない「志賀」も「志賀の浦」で詠まれているだろうと考え、こちらは別に調べました。
「須磨」「明石」も同じく、ワード検索「浦」では引っ掛からないながらそれぞれ確認。
実際のところ、上記サイトで発見できた「秋の浦」の歌はわずかで、そのなかでも参考にしやすかったのは「志賀」「須磨」「明石」ぐらいだったでしょうか。
「千鳥」や「鶴」が詠まれていては冬の歌ということになりますし、
「和歌の浦」などは、季節の歌より自身の老いを詠んだ歌や、和歌の神様に云々という歌のほうが目立ちました。
「秋の浦」の和歌を見つけるのもまず大変。こういうの、どこかにまとまっていたりするのかしら。ご存じの方がいらしたらぜひ教えてくださいね。
10首ぐらい詠んだなかからというのが理想でしたが、実際に詠めたのは4首のみ。
時間が足らなかったね……。しかし、それは仕方ない。
その4首中1首は『源氏物語』「須磨」の巻の本説取り、また九条良経の詠も踏まえたもので、受けは良いかもしれないが私好みでないということで排除し、
残り3首を第1回裕泉堂歌会に提出しました。
夕暮れの月を分け行く舟のあとを恋ふるながらのさを鹿の声 梶間和歌
花と散る志賀の浦波風ふけて入りみ入らずみむら雲の月 梶間和歌
小夜ふけてけぶりも絶えぬ須磨の浦や衣うつ声波にたぐへて 梶間和歌
2首目の「花と散る」については、定家の「さむしろや」の本歌取りではなく「風ふけて」の表現をお借りしたという意味の参考歌です。
1首目は小牡鹿の声、3首目は砧の音(衣うつ声)で秋の憂愁が表されるので、作中主体に主観を述べさせなくとも「秋の浦」の本意に沿うことができるだろう、と判断しました。
煙や須磨の浦も、間違ってもハッピーな何かを連想させる語ではありませんし。
「ながら」は「長等山」ですが、「恋ひながら」も掛けています。掛詞の場合、活用の揺らぎはある程度許容されますので、力業でねじ伏せるつもりで。
さて、この3首を歌会に出した結果は……
第1回裕泉堂歌会、そして和歌大賞へ
お待ちかね、第1回裕泉堂歌会の互選の結果です。
ひえええええええええええええええええ
初回は参加者7名だったかな、7名がひとり4票入れるので計28票あるなかで、0票、1票、1票って。
「裕泉堂さんで歌会が始まるから、初めて歌を詠みました♡ 」という方も複数おられたので、
詠んだのが初めてならば高確率で読み慣れてもおるまい、歌の評をすることに長けている方ばかりではないのだ、
という前提はあれど、まあ、心の折れる音がまったくしなかったかというと、どうかなっ。
「新儀非拠の達磨歌」とそしられながら新風を試みた藤原定家たちの心の強さを、我にも……!!!
そう、そうです。我が心の支えは、あの激動の時代に新風を開拓した藤原定家たち。
さすがに定家たちの偉業になぞらえるのは恐縮ですが、「及ばぬ高き姿」を追う梶間和歌が他人からの評価を軸にしてしまってはいけません。それは現代短歌の世界でとうに学んだはずのこと。
人の評価はあくまで参考程度、最終判断は自分の知識と美学に基づき自分でおこなうべし。
心はしょぼーんとしましたが、どんなに票が入らなくとも自信のあったこちらの2首を、修正なしで、「隠岐後鳥羽院大賞」和歌部門に提出することにしたのでした。
和歌大賞、前年に続き2度目の挑戦です。
それはそれとして、なるほどこの歌会に技巧ゴリゴリの新古今和歌を出すとスルーされるようだということを学び、
これ以降、前提知識がほとんどなくとも共感しやすい、平明かつ清新な京極派モードの叙景歌を出すようになった、ということはあります。
その場である程度受け入れられやすいものを、しかし自分の美学を曲げない範囲で調整し、最高水準で出すことは、社会性という意味でもだいじ。
さまざまな歌風で詠む実力を持った者が、場に合わせて歌風を選び、その歌風のなかで究極の剛速球を投げる。これは、妥協や迎合とは違いますしね。
その結果、その後の歌会では無事安定的に票が入るようになりました。ほっ。
さて、この年の和歌大賞にも無事応募でき、裕泉堂歌会をはじめ自身の生活をつつがなく進める日々に戻った梶間和歌。
そこに、忘れたころに大事件を知らせる報が入るのですが……
この続きは、また次の記事で。
裕泉堂歌会にご興味のあります方はこちらをフォローのうえ、イベントページがオープンされたのちお申し込みください。
月1回、火曜日20時から、オンライン(zoom)にて開催。リアルタイム参加できない方も後日アーカイブ視聴できます。
主催は三鷹古典サロン裕泉堂様、梶間和歌は講師を務めております。
和歌への情熱で道を拓く
1記事目:和歌への情熱で道を拓く ~隠岐後鳥羽院大賞和歌部門への応募経緯~
2記事目:和歌への情熱で道を拓く ~和歌大賞への挑戦2年目の転機~
3記事目:和歌への情熱で道を拓く ~アルバイトでの成長と和歌指導の可能性~
4記事目:和歌への情熱で道を拓く ~信念で詠み上げた和歌作品の行方~【イマココ】
5記事目:和歌への情熱で道を拓く ~大賞受賞、そして立ちはだかる壁~
6記事目:和歌への情熱で道を拓く ~元ホームレス、和歌にフルベットして~
7記事目:和歌への情熱で道を拓く ~友情と応援の表彰式チケット~
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梶間和歌の出身地島根県とゆかりの深い隠岐後鳥羽院大賞和歌部門への応募経緯や、令和5年分の大会結果、そしてその後……noteのマガジンとして連載して参ります。
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特にこのたび令和5年の隠岐後鳥羽院大賞和歌部門で古事記編纂一三〇〇年記念大賞を受賞し、表彰式を含む大会のツアーに申し込みましたが、こちらのツアー代金(9万円弱)は生活費と別に工面することになります。
お気持ちとお財布事情の許します方に、ぜひともご支援を頂けましたら幸いです。
このツアーの様子はこのマガジンで連載して参ります。どうぞお楽しみに。
今後とも、それぞれの領分において世界を美しくしてゆく営みを、楽しんで参りましょう。
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