見出し画像

隠岐に至る和歌心 和歌大賞表彰式ツアーレポ ~友の優しさを携えて~

思いがけず一等の大賞を受賞した隠岐後鳥羽院大賞和歌部門の表彰式を含むツアーに申し込み、集合の隠岐空港までのフライトをさあ取るぞとJAL様のホームページを覗いた2024年7月のこと。

JAL「朝6時半のフライトで羽田から伊丹に飛んでね。そこから乗り継ぎだよ」
和歌「始発で出ても間に合わんけど!!!!! 」


日本で唯一の和歌の大会への応募経緯や受賞までのプロセス、きゅうまんえん弱かかるツアーに申し込むまでの葛藤などはこちらの連載をご覧くださいね。




隠岐に至る和歌心 ~友の優しさを携えて~

良い子は真似してはいけない男性遍歴

梶間和歌、ミドルネームは「和歌に人生懸けてる頭おかしい人」、通称「頭おかしすぎてすごい人」、別名「和歌に人生フルベットして生活保護受給一歩手前の自転車操業歌人」ですが、
22歳だったかな、東京暮らしを始めてから中央線を西へ、西へと引っ越す形になっております。


住む場所のあてもなく東京に出てきた当初は中野付近のネットカフェでホームがレスのネットカフェ難民をし、
同じくホームがレスの彼氏をホームがレスでない女に寝取られたのち、東中野のゲストハウスにキャンペーン価格で入居。
一度だけ東に引っ越しました。ネットカフェからゲストハウス住まいになることを「引っ越し」と呼ぶのならば(呼ばない。

入居後1ヶ月したころのことです。
そのゲストハウスに一時滞在していたお姉さんがそろそろここを出るわというタイミングで、初めてゆっくり話したところ、

「彼氏を取り返したい? ならこんなとこ住んでちゃダメよ。自分の家を持たなくちゃ。
 私が入居する家のオーナーさん、夢や目標はあるけどお金のない若者を応援したい、と思ってて、入居費用ほとんどかからない物件を扱ってるの。
 会わせるから、さっさと自分の城を持ちなさい!

とお尻を叩かれ、そのオーナーさんの扱う初期費用9万円の部屋を紹介されました。

夢や目標があったかどうかはさておきお金は間違いなくなかった若者に、初期費用9万円なんて躊躇する余地なし。手持ちの金をすべてつぎ込みそこに転がり込みました。
それが中野駅徒歩7分、ロフト付き、最低限の家具や調理器具まで付いたワンルーム。
初期費用が安い代わりにお家賃はそこそこ掛かりました! しかし有難かった!!


ホームがレスの彼氏とのその後? その後無事2回復縁しまして(取り返したというより、女に捨てられた彼が出戻ってきた)、女性問題が続き、最終的に金銭問題で別れました。
ふっ、取り返す価値もない男だったぜ。顔面だけは福山雅治でしたけれども。ただし梶間和歌、当時まだメンクイではなかった(俳優の福山雅治さんはかっこいいと思います)

なおその彼氏を取り戻そうと奮闘する最中にいろいろあって、やはりホームがレスの柳楽優弥似の彼氏が出来たのも良い想い出です。
柳楽優弥が好きになったのもメンクイになったのも低身長骨格ストレート男子が好きになったのも、あれがあってこそ。あの人いまでも好きだわ。DVえぐかったけど。

ホームがレスの彼氏の作り方についてはこちらをご参照ください。


西へ、西へ、西へ

良い子は真似してはいけない男性遍歴はさておき、経済的に苦しい生活はホームがレス状態を脱したのちも変わりませんでした。

和歌という天命に巡り会っても、アルバイトをしても、稼いだ端から金は出てゆくなかで、
まあそれでもなんとかかんとか生きていけるかなというぐらいに(主にアルバイトで)稼げるようになった、中野生活8年目ぐらいのころ、実家の母が病気になったとかいうことで中野の家を畳み地元へ。


と思ったら、病は気からとはよく言ったもので、

私が地元に帰ったら母、元気になったのですよ。
それだけなら良かった良かった、めでたしめでたしなのですが、

母は娘の東京でのキャリアや恋愛可能性を潰して娘を地元に呼び戻した自覚に欠けた状態で、東京LOVEの私にかなり無神経なことを、悪気なく、言い続けるおめでたい性格でしたので、

「ナ~ゼ~あきれるほ~~~ど~~自覚がな~いの~私の母~~」


と2,3年で東京に戻ることを決意。

地元に戻ることを選んだのは私だけど、そのきっかけを作ったどころかそうすることを懇願・・したのは自分である、という自覚は持っていてほしかったね。
親しき中にも礼儀あり。親子だろうが何だろうが、踏み抜いてはいけない部分を踏み抜いたら嫌われます。あたりまえ体操~!


そのころには東京で、そして地元時代はオンラインで培った、国語教師吉田裕子さん(のちの裕泉堂主宰)との関係性があり、
「家とは別にアトリエとしてワンルームを借りたので、使いたい時は使って」
とおっしゃっていただいていたので、
自分の部屋を借りる資金を稼ぐまでの期間、吉祥寺のそのアトリエに住まわせていただいたのでした。

冷蔵庫やホットプレート、布団まで頂いて、至れり尽くせり……そんな吉祥寺時代が1年前後になるのかな。


当時はコロナ禍ど真ん中でして、社会情勢や施設運営主体の判断に左右されずに講座が持ちたいということで、裕子さんはやがて自宅を兼ねたご自身の古典サロンを持つことを決意。
マンションもアトリエも引き払うことになったので、私も急いで入居先を探しました。

駅から多少歩いてもいい。環境が多少悪くてもいい。
とにかく、とにかくお家賃と初期費用の抑えられるところを! お家賃の支払いで毎月悲鳴を上げていた中野時代より安いところを……!
初期費用9万円とは言わない。いま口座に入っている21万円でなんとかなる家を、我に!!!

ということで探しますと、自然、都心からは離れ、
国分寺と武蔵小金井の真ん中ぐらいの(=どちらの駅からも徒歩約25分の)現在の部屋に入居することになりました。約3年前です。

中野時代より約2万円安いお家賃で、当時よりうんと安心して暮らしております。
裕子さんはじめ、お仕事を下さったりご寄付を下さったりする和歌仲間が昔より増えた、という意味でも昔とは比較にならないほど安心感が増したなあ。
日々全方位に感謝があふれてやみません。


神降臨(再び

さて、ホームがレスの元彼やヒステリックブルーな母親の話にまで脱線して何が言いたかったかといいますと、

ご縁と安いお家賃の導きで私の住所は中央線を西へ西へと移動しているということです。

これは都心から離れるということを意味しますし、


羽田空港から離れるということも意味します。


そんな、ねえ、ふつうに暮らしていて羽田空港を使うことなんてそうそうないし、
まして私は生活保護受給一歩手前でご機嫌に生きている貧乏歌人、
そんな困ることなんて


あったんだよなあ。今回。初めて。


JAL「隠岐空港に行きたいなら朝6時半のフライトで羽田から伊丹に飛んでね。そこから乗り継ぎだよ」
和歌「始発で出ても間に合わんけど!!!!! 」


駅からの空港リムジンバスに乗っても6時10分着。
しかもこれ、第2ターミナル着が6時10分です。伊丹行きは第1ターミナルだよ。

JRと京急を使うと6時2分に京急の駅に着き、まあ、ぎりぎり間に合うとは思うけど……思うけど……怖いじゃん!!! 何かあったらと思うと怖いじゃん!!!


というところで、ふと気づくのです。
「新宿や吉祥寺からのバスならもう少し早く着くかも! 前日に近くのネットカフェに泊まれば……」
「いや、吉祥寺からなら、三鷹駅前の裕泉堂に泊めていただければ! 」

そうして調べると、吉祥寺発の空港リムジンバスは5時27分第2ターミナル着。だ、第1には行ってくれんの?
とはいえ5時半に第2ターミナルに着いていれば、ターミナル間のバス移動で6時半発のフライトにも余裕で間に合うでしょう。


和歌「裕泉堂に泊めて! 」
裕子「いいよ! 」


(実際はもっと丁寧なやり取りです)


これでなんとかなりそう。
バスが遅れたり乗り換えでミスしたりして伊丹行きのフライトを逃すルートは避けられそう!

ということで安心して隠岐行きの日を待っていたのですが……


9月下旬のこと。

裕子「そういえば、うちに泊まるのもいいですが、羽田近くのホテル取りますよ! 」


か、か、か、神オブ神!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

表彰式ツアーの代金を取材費として出してくださったばかりか、前泊のホテル代まで……。


吉祥寺からの始発バスに乗るとしたら4時45分発、キャリーケースもありますから裕泉堂を40分ぐらい早く出るとしたら4時にはおいとますることになります。
住居を兼ねた場所で早朝に音を立てるのも申し訳ないし、そもそも4時に出るとなると私はいったい何時に起きねばならないのか。もしバスが満席で乗れなかったら?

そんな懸念をすべて払拭する、有難い、有難すぎるお申し出でした。


そしてイマココ

そして、

昨日無事天空橋のホテルにチェックイン、
ふかふかのベッドでぐっすり休むことができ

なかったのはあくまでパトカーのせいであり、そのサイレンが鳴り響くまではぐっすり眠れたので、やはり感謝はあふれて止まらない。


5時オープンの朝食会場でおいしい朝ごはんもダッシュで頂き、5時半発の無料の送迎バスに。
初対面らしい外国人のおばちゃんとお若い日本人が英語で楽しげに話す様子を私も楽しく拝見しながら、第1ターミナルに移動しました。
あそこまでスムースに会話できたら楽しかろうな、と思いつつも……私が外国人を道案内するそれなりの英語も傍からはきっとそのくらいに見えているのでしょう。

道に迷っていそうな外国人を見つけたら、英会話レッスンと思って率先して話し掛けています。


閑話休題、そうして6時半のフライトに無事乗り、井上尚弥のドキュメンタリーを観ていたらあっという間に伊丹空港に到着。


そして、イマココです!

もともと3時間ぐらいあった乗り継ぎ待ち時間が、伊丹・隠岐便の時間変更で4時間になったため、
「なるべくアップデートで記事を書こう。粗削りでもいい。参加レポはクオリティより早いことのほうがだいじ」
ということでキーボードを叩いています。

まあ、粗削りのアップデート記事の割にホームがレスの元彼2名の話にそこそこ文字数を割いて、なんやねん、という気がしないでもないですが、これでいいのだ。


さて、5時の朝ごはんから数時間経過しそろそろお腹も空いたので、早めのお昼ご飯を頂き、乗継便の搭乗口に向かいます。

隠岐での表彰式ツアーの様子、このように最中にまとまって書けることもあれば、そんな暇などないタイミングもあるかと思いますが、
noteへのつぶやきXへのポストで簡単なアップデートはシェアしようと思っておりますので、また折々覗いてみていただけましたら幸いです。

全体の見直しも2,3度しかできず、取っ散らかった粗い記事となってしまいましたが、最後までお読みいただき誠にありがとうございました。


連載 和歌への情熱で道を拓く

1記事目:和歌への情熱で道を拓く ~隠岐後鳥羽院大賞和歌部門への応募経緯~
2記事目:和歌への情熱で道を拓く ~和歌大賞への挑戦2年目の転機~
3記事目:和歌への情熱で道を拓く ~アルバイトでの成長と和歌指導の可能性~
4記事目:和歌への情熱で道を拓く ~信念で詠み上げた和歌作品の行方~
5記事目:和歌への情熱で道を拓く ~大賞受賞、そして立ちはだかる壁~
6記事目:和歌への情熱で道を拓く ~元ホームレス、和歌にフルベットして~
7記事目:和歌への情熱で道を拓く ~友情と応援の表彰式チケット~
8記事目:和歌への情熱で道を拓く ~終わらぬ挑戦、広がる波紋~


連載 隠岐に至る和歌心 和歌大賞表彰式ツアーレポ

1記事目:友の優しさを携えて
2記事目:おもしろすぎるガイド様 in 隠岐の島町
3記事目:眠りに就くまでがツアーです


マガジンをフォローする

梶間和歌の出身地島根県とゆかりの深い隠岐後鳥羽院大賞和歌部門への応募経緯や、令和五年分の大会結果、そしてその後……noteのマガジンとして連載して参ります。
マガジンをフォローいただきますと、更新時に通知が行きます。こちらのフォローもよろしくお願いいたします。


和歌活動を応援する

梶間和歌がつつがなく和歌創作、勉強、発信を続けるため、余裕のあります方にお気持ちを分けていただけますと、
私はもちろん喜びますし、それは日本や世界の未来のためにも喜ばしいことであろうと確信しております。

「この無茶苦茶な生き方を見ていると勇気がもらえる」
「こういうまっすぐな人が健康に安全に生きられる未来って希望がある」
なんて思ってくださいます方で、余裕のあります方に、ぜひともご支援をお願いしたく存じます。


noteでのサポート、その他様々な形で読者の皆様にご支援いただき、こんにちの梶間和歌があります。ありがとうございます。

特にこのたび令和5年の隠岐後鳥羽院大賞和歌部門で古事記編纂一三〇〇年記念大賞を受賞し、表彰式を含む大会のツアーに申し込みましたが、こちらのツアー代金(9万円弱)は生活費と別に工面することになります。
お気持ちとお財布事情の許します方に、ぜひともご支援を頂けましたら幸いです。

ツアーの様子はこのマガジンで連載して参ります。どうぞお楽しみに。


今後とも、それぞれの領分において世界を美しくしてゆく営みを、楽しんで参りましょう。


この記事を書いた人

フォローはこちらから


いいなと思ったら応援しよう!

梶間和歌
応援ありがとうございます。頂いたサポートは、書籍代等、より充実した創作や勉強のために使わせていただきます!