梶間和歌プロフィール小説~「及ばぬ高き姿」をねがひて~ 【第1章】
新古今見ざる歌詠みは遺恨のことなり。
1986年、島根県生まれ。
2009年~13年、自作の詩歌の対面販売に従事。
2012年、近代短歌に触れて短歌を詠み始める。
その年の夏、式子内親王の和歌に衝撃を受け、古典和歌、特に中世の新古今和歌、京極派和歌に傾倒。
2014年、ながらみ書房『短歌往来』3月号「今月の新人」に作品寄稿。
2020年、ながらみ書房『短歌往来』4月号の特集に評論寄稿。
同年5月、私家版歌集『生殖の海』上梓。
2021年、現代短歌社「現代短歌新聞」4月号「島根県の歌人」に作品寄稿。
2022年、ながらみ書房『短歌往来』8月号に作品寄稿。
2023年、ながらみ書房『短歌往来』9月号に作品寄稿。
2024年、隠岐後鳥羽院大賞 令和5年和歌部門 大賞(古事記編纂一三〇〇年記念大賞)受賞。
2021年~22年、オンライン講座「歌塾」講師。
2023年~、裕泉堂歌会講師。
新古今和歌と京極派和歌の良き読者を増やすことを生涯の仕事とする。
心の友は藤原定家、心の師は永福門院と光厳院。
第1章 女であるということ
サッカーボールが友達、と言っている少年漫画があるらしい。
アンパンマンには愛と勇気以外に友達がいないらしい。
授業が終わると、あたしは図書室に向かう。
授業と授業のあいだの5分、10分の休み時間も同じ。図書室か教室の本棚の本を読む。
田舎の小さな小学校の、4学年しか通わない分校だけど、図書室にはたくさんの本があるから。
日本の偉人伝、世界の偉人伝、子ども向けの歴史の本に小説……そんなのを読みあさるのがあたしは好きだ。
現実の世界ではうまく人付き合いできない。クラスでもなんだか浮いている。
弟ばかりかわいがられる我が家に居場所を感じたことはない。
残っている最初の記憶は幼稚園時代のものだ。
「死ぬまであと80年、こんなつらい毎日を過ごすのか」
とふと気づいて絶望していたのをよく覚えている。
そんな生活だもの、本だけがあたしの友達。
本は、開けばどんな世界にも連れて行ってくれる。
友達のいないあたしだけど、世界中どこでも、大昔でも、旅できるんだから。
「徳川家康ってこんなに大変な幼少期だったのか」
「あたしがキュリー夫人だったら、この困難をどう乗り切るかな」
現実逃避と言わば言え。現実に救いがないからこそ、想像の世界を自由に遊ぶんだ。
そこでは征夷大将軍でも大統領でも、ノーベル賞受賞者にだってなれる。
4年間で分校中の本を読みきった。複式学級で使われなくなった教室の本も含め、だ。
5年生に上がり、本校の同学年と合同のクラスになった。
分校のクラスメートの3倍、4倍もの人間に揉まれる日々――そこでは浮くどころじゃなくて、明確に嫌がられるようになった。
よくわからないけど、どうやらあたしに原因があるらしい。
「嘘をついてはいけません」「弱い者の味方でありましょう」
それまでに親や先生から習ったとおりに振る舞う。それって……言われたとおりにするのって、正しい事だよね?
それなのに、正しい事をすると煙たがられる、そういう気配を感じるようになった。
みんな、正しさじゃなくて“空気”とかいう曖昧なものを基準に選択、行動して生きているらしい。
で、それがわからないあたしは、“正しく振る舞う”せいで“空気”を乱しているみたいなんだ。
それだって、誰かに言われて気づいたわけじゃない。
あたしの持っている何かが原因でその不快な毎日が継続されているようだ、だとしたら何かを直さなきゃいけない。
不快なのが嫌だから、なんとかしたくて人を観察しただけだ。
ただ、観察の結果“空気”というものの存在感を認識したところで、どうしたらいいのかはわからないんだけど。
そんなクラスに、あたしほどじゃないけどクラスに馴染めていない子がいた。
彼女はあたしと違ってスポーツができるから、あたしよりはうまくやっているみたい。
でも、家庭科とかでグループを作る時には彼女とあたしが余るから、たいてい組むことになる。
その彼女にバスケットシューズを借りた小6の秋、彼女のことが好きだと気づいた。
それまで、幼稚園とか小学校の分校時代とかも、なんとかくんが好き、なんて言っていた。
けれども、彼女が好きだと自覚したあたしがそれまでの「好き」を振り返ると、それって親や社会の期待に無意識に応えて抱いた好意だったなあ、とわかる。
「女の子は男の子に恋をするもの」という期待、常識に応えて、恋心という自分の感情さえ人為的に作り出していたんだ。
人って、子どもって、無意識にそんな事さえするものなんだな……。
その後、中学の途中からあたしは学校に行かなくなる。
英語だけは独学した。日本語では出来ない友達が、英語で会話すれば出来ているような気がする、それが楽しくて。
まあ、あとから思えばそれも、まだ幼い日本人の少女が母語以外の言語でコミュニケーションしようとする一生懸命さに対するお目こぼし対応が含まれていた、と思うんだけどね。
当時のあたしにはそんなところまでわからなかった。だから純粋に英語が楽しめた。
そうして初めて行った英語圏の国は、オーストラリアだった。
そのホームステイ中に、また女の子に恋をした。
でも、毎回そうだというわけじゃない。男の子が好きになることもある。
そんな流れで“バイセクシュアル”という性のあり方を知って、性的指向とか性自認とかいう概念を学び始めた。
女であるということは、あたしの大きな問いであり続けた。
弟たちと違って、自分は女であるということ。
毎月月経が来ること。
男たちに、女として見られること。
そのうち男と結婚して子どもを産むだろう、と大人たちに思われていること。そうならなかった場合には落ちこぼれと見なされるらしいこと。
現実には男に恋することもあるけど、女に恋することもあること。
男に恋したところでその人に好いてもらうなんてとても期待できない自分であること。
まして、そんなあたしが女に恋してその人に好いてもらえる可能性なんて、絶望的だ。
人は常識を常識と認識せずに生きるから、もしかして、あたしが女であるという認識さえ思い込みなのかな?
一度そう疑ってみて、男である自分を想定してみたけど、それもしっくりこなかった。どうやらあたしは女であるらしい。
だけど、女であることが心地よいとも思えない。
あたしの性自認が間違っていないなら、女であるあたしが心地よく生きられない社会のほうに問題があるんじゃない?
そういえば、図書室の偉人伝に女性の名前はほとんどなかった。
日本史の偉人伝ではゼロ、世界全体で3人だ。
よく覚えている。ヘレン・ケラー、ナイチンゲール、キュリー夫人の3人だけだった。
なるほど。ここはそういう社会、世界なんだ。
入った大学では専門的な研究ができないとすぐにわかった。
なので、ジェンダーとか性のあり方とか途上国のこととか宗教とか……本を買ったり研究会に出席したりして独学した。
籍は島根の片田舎の大学にあるけど、東京や大阪、小倉や別府にも夜行バスや在来線で通った。
他大学の部活の後輩には「どう考えても一日が24時間以上ある人」と言われた。
卒業研究は優秀研究に選ばれた。
そういう生活をした。
この世界は何かが間違っている。それを正したい。
でも、何が間違っているのかがわからない。
正そうとしても、何の望ましい結果も得られない。
正しさには何の力もない……そう気づいた小学時代のやるせなさをなんとかしたかったのかもしれない。
答えのない戦いに明け暮れて、疲れ果てた。
心が疲れた当然の結果としてうつを発症した。
誰かに助けてもらいたい時ほど、助けられるどころか男の人に痴漢されたりレイプされたりした。
女性の人権についての女性学会に出席するために韓国に行ったら、その女性学会の出席者に痴漢されて、現地の警察で事情聴取を受けたこともある。
“女性の人権”というお題目のむなしさよ。英語と韓国語で、よく立件したな、あたし。
あの労力を考えたら、うやむやにして泣き寝入りする女性が多いのも道理じゃないの。
答えのない戦い、勝ち負けの世界。敵か、味方か。
男はみんな敵で、女もなんだかんだ裏切るから敵。
常に警戒して生きる。
でも現実問題警戒の糸を張り続けるなんて無理で、心が疲れるとその糸は緩む、そこから容赦なくつけ込まれる。
またいっそう警戒をする……。
きっと、死ぬまでこうやって生きるんだろうな。
「死ぬまであと80年、こんな毎日を過ごすのか」と思った幼稚園時代の未来予想そのまま、いやそれ以下の日々が、その後20年近く続いてきたんだもの。
この先何かが良い方向に変わるなんて……そんな奇跡を期待する必然性はどこにもないのだから。
梶間和歌プロフィール小説 ~「及ばぬ高き姿」をねがひて~
第1章 女であるということ
第2章 正しさのむなしさ
第3章 本当に美しいもの
第4章 この世ならざる美を追って