歌集『母となる』 ~『生殖の海』2024年版~
歌集『母となる』 ~『生殖の海』2024年版~
及ばぬ高き姿を願ひて
この世において直面する現実が良かれ悪しかれ、それに振り回されることなく、次元を超えたどこかに確かに存在する【ものごとのイデア】にアクセスし、
私情を排し、【詠みたいもの】ではなく【詠むべきもの】を【詠むべき形】で歌にする。
現実がどんなに理不尽でも、生活上の不都合や不具合がどんなに大きくとも、崇高なる我が創作物にそんなものを影響させるわけにはゆかない。
――私の人生を変えた新古今時代の歌人たちの、言語芸術としての和歌が、どのような精神で生み出されどのような矜持に支えられていたか。
新古今和歌に出会ったばかりの26歳の私には皆目見当が付きませんでしたが、
その精神と矜持を無意識にこのように受け止めたからこそ、私は新古今和歌に魅せられたのだ、
と、のちのち振り返りこのように言語化しています。
「芸術とは自己表現である。誰にも理解されない思いをせめてぶつける手段である」
……もともと私はそんな幼稚な、世界に対しても芸術に対しても甘えた態度で生きていました。
しかし、鎌倉時代初期というままならない現実に揉まれながら、少なくとも和歌に向き合うかぎりどこまでも誇り高くあろうとした新古今歌人たちの作品に頭を殴られ、
創作姿勢も生きる姿勢も根本から改めることになるのです。
学びの過程で、新古今時代の約100年後、京極派歌人たちの選択したさらに厳しい道を知ります。
前例や正解のない、自分たちの力しか恃むもののない歌論。
理屈はそれとして実践困難な歌論をいかに実作に反映させ、かつ秀歌として成り立たせるか、その試行錯誤。
突然の政変や皇族さえ命の危険のある動乱を経て生まれた、2つの京極派勅撰和歌集における、彼らの努力の結実。
その歌論を選択した歌人ひとりひとりの人生の、壮絶さと美しさ。
新古今の超現実の美に惹かれる気持ちは変わりませんが、
学びゆく過程で私の心はおのずと、この厳しくも美しい歌風と生き方を選択した京極派のほうにより魅せられるようになりました。
言葉では同じ【超現実】であっても、新古今の、現実を脇に置いた超現実の美ではなく、
現実を直視した奥にある、現実を超えた美、とでも呼ぶべきものを私は京極派に見たのだと思います。
歌集出版、その後
同世代の歌友の余命宣告と早すぎる死をきっかけに、2020年、歌集『生殖の海』を私家版という形(編集をすべて自分で手掛け、印刷、製本のみ印刷会社に依頼する形)で出版。
2020年ですから、まだ京極派より新古今に触れる時間のほうが長かったでしょうか。
「新古今の精神を現代に」と当時なりに精いっぱい取り組んだものですが、
もとが
「芸術とは自己表現である。誰にも理解されない思いをせめてぶつける手段である」
と信じて疑いもしなかった、甘ったれ中二病のメンヘラです。
新古今和歌に出会って8年間、自分なりに研鑽してきたつもりでも、精神の根本にぴえんぴえんしたものがしっかり残っていました。
和歌で喩えるならば、武士階級の台頭を見る前の時代の歌人たちの精神性――
「世界は我がために存在すべきである」という不遜さを無意識に前提とし、
そうでない現実を恨んだり、そうでない現実に卑屈になったりし、
まったく正当性に欠ける主張や同情の余地もない身勝手な愚痴を和歌に託し、被害者ぶって生きる、
そうしたものと大差ない、幼い自分を、いまその歌集を紐解くと見ることができます。恥ずかしさの極み。
そうした精神のありようから詠歌上も人生上も完全に脱するには、それなりの時間と労力が掛かります。
もちろん、それが完全にできている、と現在もとうてい言えるものではありませんが、2020年段階では言うまでもないことでした。
2020年版『生殖の海』においては、新古今の厳しさのほうはいくらか体得、体現できていたものの、
京極派の真の厳しさと優しさについては、技術的にも精神的にもまったく、お話にならないアウトプットでした。
小手先の技術を磨くだけではどうにもならない、詠み手が真に心を鍛え精神を鍛えることでしか体現しようのない、京極派和歌。
この厳しい歌論を選択した、鎌倉時代初期よりさらに厳しい、筆舌に尽くしがたい激動の時代を生きた京極派の、特に後期の歌人たちの生き方を学ぶなかで、
私は現実世界においても少しずつ、少しずつ、心を磨き、それに連動しておのずと歌や連作、歌集の完成度も高くなるだろうことを信じるようになるのです。
心のまゝに詞のにほひゆく
和歌の技術を磨くことはもちろん、それ以上に、心を鍛えその曇りを削ぎ落すことは一生の営み。
「現在のお前はどれほどのものか。その心のありようの反映された歌集はどれほどのものか」
と問いますと、きっと来年、再来年の私の目には至らなさが見えていることでしょう。
が、その時点でできることをやり切ることでしか、その先の成長はありません。技術的にも、人として心を磨くうえでも。
その時その時の【精いっぱい】を込めて、私家版出版後も『生殖の海』を2021年版、22年版、とアップデートし続けています。
2024年の今年、歌集タイトルと各章のタイトルのほとんどを思い切って変更しました。
新たな歌集タイトルは『母となる』。
大まかな章立ては以前のものと変わりませんが、ほとんどの章のタイトルを変更し、それらを構成する歌も大幅に組み替え、また推敲しております。
正直、原形をとどめないレベルで手を入れた章も少なくありません。
私としては然るべき推敲、改訂ですが、2020年版を好いてくださった方には賛否あるかもしれませんね。
とはいえ、その賛否はあくまで人による賛否。
和歌というものが「ここをめざせ。ここに進むのだ」と示している(と見える)道を愚直に進んできた者の現時点のアウトプットが、2020年のアウトプットと比べて劣っており目も当てられない、
ということは考えにくいでしょう。「変化の方向性が自分の好みと合わないから」と離れる方は一定数想定され得るにせよ。
無料や有料の2020年版『生殖の海』を過去にお読みになり「なにやら偉そうに言っている梶間和歌とはこの程度のものか」と思われた方にも、もちろんそれらを好いてくださった方にも、
ぜひそれ以降の版、そして24年版『母となる』をご覧いただきたく存じます。
私が和歌というものを捨てたりその研鑽を怠ったりしないかぎり、数年後には黒歴史となっているだろうこれも、
2024年時点の私には自信を持ってお見せできる作品です。
2024年版、全文無料公開
毎年手を入れ、発表してきた歌集『生殖の海』そして『母となる』の改訂はこの2024年でいったんひと区切りとするつもりでおります。
まあ、そんなことを言いながら来年のいまごろも「やっぱりやめられなくて手を入れちゃいました、てへぺろ」と記事を更新しているかもしれませんが、その時はその時。
2019年に「なにをちんたら生きてきたのだ。いますぐ歌集を出さなくちゃ」と決意してから、5年でしょうか、毎年全力で臨んできた歌集の編集、改訂はここでいったん終わりです。
2020年版を私家版で出版したのち、
「歌塾」講義のうえで必要性を感じ全文をnoteにて無料公開、
2021年版以降のものはnote有料記事や有料マガジンにて公開して参りました。
ひと区切りとする予定の2024年版『母となる』は原点(?)に還り、全文無料公開としたく思っております。
やはり、現代和歌のひとつの形をどなたでも気軽にアクセスできる形に整えておくことには、社会的な意義があると思われます。
【気軽に】には【無料で】の意味も含まれると思います。考え方にもよりますが。
優れた和歌作品、試行錯誤途中の粗削りな和歌作品、いろいろな和歌作品が広く人の目に触れる状態、
その気になれば無料でいろいろな作例にアクセスできる状態。
このような状態が保たれていたほうが、和歌人口、和歌関係人口が増えるのではないか。
和歌創作者だけでなく読者の成長にも寄与するのではないか。
こんなふうに、いまのところ、梶間和歌は考えております。
和歌に関心をお持ちの方、梶間和歌の成長を見たい方、令和の日本において和歌に真剣に取り組んだ結果の一例に触れてみたい方……さまざまな理由でこの記事に辿り着いた方がおられるはず。
あなたもそのうちのおひとりでしょう。
そんなあなたにぜひ、決済の労を省き、全文お楽しみいただきたく存じます。
(読み通す労だけは、こちらでは省けないので、よろしくね)
そして、もしこれらの和歌作品や歌集に何かを感じてくださいましたら、
また「この人アホすぎておもしろい」なんて思ってくださいましたら、
そしてもしあなたのお財布にちょびっとだけ余裕がおありでしたら、
noteのサポート機能などで金銭的にも応援いただけましたら大変有難いです。
もちろん、サポートなしで全文楽しんだうえで「アホすぎておもしろい人見つけた! 」なんて拡散していただく形でもとてもうれしいです!
それでは2024年版歌集『生殖の海』改め『母となる』、どうぞお楽しみくださいませ。
梶間和歌歌集『母となる』 ~『生殖の海』2024年版~
序章 にほふマルボロ
第一章 松の緑
第二章 まよふうたゝね
第三章 レモンのマドレーヌ
第四章 明けぬ夜の闇
第五章 海の辺の女
第六章 及ばぬ高きすがた
第七章 露のあけぼの
第八章 草枕
第九章 母となる
第十章 水鳥のつばさ
終章 夢の浮橋
2024年版にはあとがきを用意しておりません。
2020年版のあとがきを無料公開しておりますので、そちらをご覧ください。
過去の『生殖の海』
2020年版『生殖の海』
2021年版『生殖の海』
2022年版『生殖の海』
2023年版『生殖の海』
紙媒体の『生殖の海』2020年版
和歌活動を応援する
梶間和歌がつつがなく和歌創作、勉強、発信を続けるため、余裕のあります方にお気持ちを分けていただけますと、
私はもちろん喜びますし、それは日本や世界の未来のためにも喜ばしいことであろうと確信しております。
「この無茶苦茶な生き方を見ていると勇気がもらえる」
「こういうまっすぐな人が健康に安全に生きられる未来って希望がある」
なんて思ってくださいます方で、余裕のあります方に、ぜひともご支援をお願いしたく存じます。
noteでのサポート、その他様々な形で読者の皆様にご支援いただき、こんにちの梶間和歌があります。ありがとうございます。
特にこのたび令和5年の隠岐後鳥羽院大賞和歌部門で古事記編纂一三〇〇年記念大賞を受賞し、表彰式を含む大会のツアーに申し込み、ツアー代金(9万円弱)は生活費と別に工面することになりました。
ツアーには無事参りましたが、その後の生活もございます。お気持ちとお財布事情の許します方に、ぜひともご支援を頂けましたら幸いです。
ツアーの様子はこちらのマガジンで連載して参ります。どうぞお楽しみに。
今後とも、それぞれの領分において世界を美しくしてゆく営みを、楽しんで参りましょう。
この記事を書いた人