第67回角川短歌賞応募作50首詠「青春を生きたあなた」
第67回角川短歌賞応募作50首詠
「青春を生きたあなた」
梶間和歌
白湯をもて偽薬飲み込み身を起こすけだるきあさも安全靴を履く
男ではないをんなにもなりきれずひとつにくゝるぬばたまの髪
二四〇〇ミリメートルのポール三本担ぎ上げ三秒ごとに締めなほす股
重力と遠心力を引き連れて六尺脚立を降り又駆け上がる
片脚でバランスを取るいつまでも宙ぶらりんのいきものとして
ゆりかもめヽトロに揺られイヤホンし中田敦彦目を閉ぢてきく
冷静になる瞬間を避けつべし乗り過ごさない永田町駅
おとにきくバスケ漫画の熱演にかへらぬ時を思ひこそやれ
たつたひとりのためにたゝかふひとを知りあゝうちなびく我が恋ごゝろ
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追ひきれぬ球を抱へたあの人の瞳がじつとオレを見つめる
諦めちやいけないラスト十二秒晴れない雲はオレの手ゞ割る
汗が目に口に、構ふな球を奪へ試合終了の笛の鳴るまで
何十万何百万と打つてきた腕、膝すべての記憶を信ず
スターには勝利が似合ふ武石中に三井寿はありと知れかし
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こめかみに馴るゝポールのつめたさよあたしはこゝにゐてもいゝのか
重さより滞空時間割り出せば持ち手を替へて担ぐ六尺脚立
三メートルパラビーム飛ばすため人を呼ぶなどすべきかは爪先で立つ
地上より身軽な場所に見はるかしもとより肉体を持つ不自由
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喜びの瞬間引き受けねばならずそれをうしなふかもしれぬ明日
あの男デカいだけだと息を吐くオレの弱さをオレは知らない
スターにはいゝハンデだと膝を撫でチームメイトに微笑みを投ぐ
一番でなくちやいけないオレのため朝な夕なに抜ける病室
この床の冷たさを知る奪つたはずのパスが木暮に渡るおとして
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鷺足立ちに左内腿あをみたり右、定位置に手刀を払ふ
この形に相応ふと言はれそれだけを頼みひと日に打つ二十回
わづか一、二秒のために削ぎてゆく想念 あたし以外見ないで
じふねんを二年に縮めうつくしさ若さ将来みな差し出した
いはけなやピルも知らずてスポブラもせで駆け抜けたゝまぼこの果て
ひと息に露は砕けてな捨てそと言ひしその後を覚えてゐない
二度と開かれぬ箪笥に帯は眠るじふねん分の汗にしをれて
あの人のゐない世界に生ひ初めて葛に裏見の風遥かなり
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ほんたうに怖かつたのはあの人の心のうちのオレの大きさ
注目を集めることに馴れ果てたオレの知らないこれは世界だ
騒がしいはずの体育館を去り松葉杖つくおとのみぞする
何に耐へられなかつたのか問ひなほす強さを持たぬスーパースター
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内腿を蹴り上ぐることせずなりて癒えかつ増ゆる傷にあをあざ
ペディキュアを欠ゝさぬ爪も小指だけはつぶれてひさしさはれ世のなか
片膝にからだを支へ腕を伸べ男以上のはたらきをせよ
手探りの逆手にロック締め上げつまなじり濡らす夏のたまみづ
男には勝てず勝つ必要もなし脚立のうへに風ぞすゞしき
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血にまみれ体育館に立ち尽くすかそけき声が心臓を撲つ
「私だ……開けて下さい」そのこゑを忘れた日などほんたうはない
「おや」と言ふあなた、時間が巻き戻る晴れない雲を割つたあの日に
追ひきれぬ球を抱へたあのときとおなじ瞳にオレを見ないで
膝から崩れ落ちた涙があふれてた安西先生バスケがしたい
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遥かむかし死んだあたしのとぶらひに何十回もこゝだけを読む
あたしにも「安西」がゐてあたしにも「バスケ」があつた 月かたぶきぬ
あたしには戻つてこない青春を生きたあなたにすこしだけ妬く
泣き崩れるには強すぎたあの比もいまも見えない山の端の月
腹痛はなき四日目のしのゝめのそらに図面を描きつゝ行け
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歌集『生殖の海』
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