#004 ERIFFのロゴに込められた思い〜分かり合うこと、受け入れること、変わること
ERIFFこと国際和解映画祭が始動して彼此4ヶ月程が経ち、早稲田大学のシンボルでもある大隈講堂を2日間貸し切って開催する映画祭まで後9ヶ月。最初は筆者も「こんな大規模なイベントなんて開催できるの?」という疑問と懐疑しかありませんでしたが、スタッフ一同の頑張りにより「やっと道が見えてきたな!」と感じるここ最近です。さて、今回はERIFFのロゴについて話していきたいと思います、が先ず最初にこのロゴを見て皆さんは何を思い浮かべましたか?是非それを考えた上で、答え合わせも兼ねて続きをお読みください。
いつも公式のウェブサイトやSNSで見かけるこちらのロゴですが、実はそれにはスタッフの思いや理念が詰まった、言わば「思いの結晶」なのです。それ故に、このモノクロでミニマリズムなロゴには見た目以上に深い意味が込められいます。思い返せば、スタッフ一同がロゴのデザインに着手した当初、この様な素晴らしいロゴが出来上がるなど微塵も考えていませんでした。7月初旬頃、当時まだ5人しかおらず、「ERIFF」と言う呼び名がまだ存在すらしていなかった頃、「組織としてちゃんとしたロゴが必要だ!」という実行委員長の一声で、チーム全体でロゴデザインに着手しました。ただ、困った事に筆者と実行委員長を含め大半のメンバーは芸術やデザインといった事についての知識は疎か、アートとは無縁の人生を送ってきました。「本当に自分達で出来るのか?」心の底からその様な不安に駆られながらも、各自「映画祭のあり方」と「目指したい映画祭像」をテーマにロゴを考えてみました。それは酷いものでした。筆者のはまるで子どもの落書きの様なコンセプトアートでした、そしてそのデザインの過程において、まだ基本的理念についても曖昧であった我々は、様々な問題にぶつかりました。「そもそもロゴに国旗や国籍を表現するものを含めていいのか?」や「東アジアとはそもそも何を意味するのか?」、「和解をロゴにするのは宗教色が強くないか?」…様々な難題を抱えていました。
そんな中で、我々は一番綺麗で且つ深意な副実行委員長のコンセプトアートを採用しました。「泥中の蓮」をコンセプトに、和解を「混沌とした中で咲き開く花」とした大変意味深いものでした。東アジア諸地域は古代から長期に渡り人や文化の活発な往来により緊密に繋離、その様な繋がりはサブカルチャーや食文化を通じて今でも変わらず維持されています。しかし、その一方で歴史に関する諸問題に目を向けると、東アジアにおける亀裂はより一層深まり、各国の歴史認識は平行線を進むばかり。その様な文化における緊密な繋がりとは裏腹の歴史・政治的対立、その様な混沌状態下「お互い分かり合い、受け入れる」ことを成し遂げ、清く、強く和解の花を開かせる。その花は「和解文化」であり、我々映画祭のビジョンの先にあるものであり、その根元にある「蓮花の種」こそが我々ERIFFという団体と映画祭そのものなのです。それ以外にも、蓮の花というのは文化観や価値観において、古来から仏教の影響を強く受ける東アジアに共通するものであり、日中韓やその他の東アジア諸国の人々からしても理解しやすいものだと感じました。
この様にして、「蓮」、「相互理解」などのキーワードをベースにERIFF内のデザイン担当スタッフとその親友であるデザイナーANIXさんが改良に改良を重ね、今の様な形へと変化しました。「蓮」という特徴を強調し、それと同時に「和解の難しさ」と「混沌」をどの様に表現するのか。それの答えがこの多角形フォルムなのです。一般的な蓮の様を描く様に滑らかな曲線では描かず、敢えてこの様にカクカクとした多角形で花の形を造り出す事により、和解とはその様に滑らかに進めるプロセスでは無く、各人が自分の感情、記憶と価値観を葛藤を乗り越えた先にあるものである事を表現しました。より俯瞰的な視点から物事を見れば、今の様な国民と国民との間での歴史認識の差異と感情のぶつかり合いは、確執や不和を生むのは必然的な帰結です。しかし、その様な中でも、相手を突き放すのでは無く、徐々に相手を理解していき、自分を見つめ直し、一つ一つ乗り越えていくその信念とプロセス。それが「線と線」を結び可憐な蓮を象る和解のあり方なのです。
和解の形成は、市民レベルでの絶え間ない対話とお互いに対する理解により実現するものであって、お互いが理解し、受け入れ、変化し、線をゆっくりと時間をかけて繋げることにより、成し遂げられる「共に歩める未来」を作り出すことなのです。それは決して国と国、国民と国民、民族と民族などハイスーケルなものに限った話ではなく、人間関係そのものに当てはまる至って普遍的なものです。その様な普遍的和解文化の創世から東アジアの未来へと繋げる、それがこのロゴに込められた思いであり、国際和解映画祭の存在意義なのです。
「和解って何を意味するの?」映画祭の名前を見た人なら誰もがこの様な疑問を抱えたでしょう。その答えを簡潔にまとめれば「分かり合うこと、受け入れること、変わること」です。そしてその最たる一歩は相手理解する努力であり、その一歩は未来を大きく変える可能性に満ちています。その様なきっかけを映画祭という形で具現化すること、未来を担う私たち学生や若者たちの手によって作られた脚本と映画を広く募集し、その作品をできるだけ多くの人に届けること作ること。それが我々ERIFFスタッフ一同が背負う使命です。
(執筆:早稲田大学政治経済学部3年 生井海東)