マイケル・ムーア監督作「ボウリング・フォー・コロンバイン」を観て
1999年にコロンバイン高校で起きた銃乱射事件についてのドキュメンタリー。犯人は同高校の生徒2名で13人を射殺後、共に自殺。
個人的に気になったところだけを切り取って、レビューします。
マリリン・マンソン
犯人たちは事件当日の朝、ボウリングをやってから犯行に及んだ。
二人が好きだったマリリン・マンソンのファンだった。
影響を受けマリリン・マンソンはいくつかのライブを中止に。
ボーリングはなんの批判も受けず、マリリン・マンソンは世間の批判を浴びている点。
結局人はイメージで何かを決めつけて動いている。
マリリン・マンソンは劇中で自身も若い頃音楽に助けられたと言っている。
犯人たちはマリリン・マンソンに刺激されたのではなく助けられていたのでは?
サウスパークの作者マット・ストーン
マット・ストーンは若者特有の怒りをアニメで表現した。
10代の悩みなんて高校を卒業すれば終わる。
高校で頭のいい奴なんてそのまま地元で保険の外交員にでもなる。
頭の悪かった奴の方が成功したりもする。
そういう事を誰かが教えてやればよかったんだ。
マット・ストーンは事件が起きたコロンバイン高校の卒業生で、街自体も悲惨なほど平均的な街と表現しているが、
マット・ストーンの怒りの変換方法は実に賢い。
人の共感を呼び、お金を稼げるやり方。
同じような悩みや怒りを持つ人と繋がるツールやプロダクトを作る事はこれからの時代どんな人でも持ってなきゃいけない能力だ。
怒りは物づくりのエネルギーになる。熱中するものを見つけた方がいい。そしてそれを恥ずかしげもなく晒した方がいい。
全米ライフル協会会長チャールトン・ヘストンへの取材
マイケル・ムーアはヘストンの自宅を訪ね、インタビューをするシーンがある。
徐々にヘストンに都合の悪い質問が多くなり、最後は打ち切るかのように立ち上がりその場から立ち去る。
銃で亡くなった6歳の女の子の写真を見せるも、逃げるように自宅へ戻っていくシーン。
この映画を初めて観たのは20代の頃だったけど、「話が通じない大人」の典型だと思った。
人はみんな良い面と悪い面を持っている。悪い面を改善する努力は必要だけど、消す事は無理だ。
ヘストンや僕が「嫌いな人」とする大人は、この悪い面を認めることができない。反省ができない。ダメな自分と向き合えない。
これは問題になる。
周りの人からの愛情が薄くなるからだ。
周りからの愛情が減れば不安に陥るので、何かしらの”力”を使い始める。
これが”暴力”とか”権力”とかだ。
ヘストンはどちらも兼ね備えているように見えた。
感想と転用
マリリン・マンソンはとても賢い分析をして冷静に事件全体とメディアの関係なんかを捉えていた。
マット・ストーンは怒りを賢い視点で捉えて作品にした。
ヘストンは自分を信じすぎた。周りの話を聞かなすぎた。
この映画の主軸では「アメリカに蔓延る恐怖」であるけど、銃社会じゃない日本でそれ考えてあんまり意味ない。
それよりこの映画で学べる事は、
事実を分析するスキルと怒りを自分のモノにする発想力。
そして、”力”を使わずに人と関わり、自分の過ちを訂正し、正しさを深める事である。
コロナに対する恐怖は人と繋がるチャンス。
家にいる事で、noteを始めるきっかけになったし、時間もどっぷり与えてくれた。
僕はこれからも自分の考えを発信し続けるけど、その中で何か失言をしたり、叩かれる行動を取ってしまうかもしれない。
その時は言われた事を素直に聞いて、謝って正しい言動を取るよう修正していこう。