想像力と冷淡さ
「お願い、宮崎監督。それ以上見せないでくれ!」
ジブリアニメの「風立ちぬ」を最初に見た時の衝撃は忘れえないものでした。
おそらく女性から見た際に主人公の「堀越二郎」の印象は良いものではないだろうと思いますが、世の男たちから見た際には違います。
こんな言い方がいいのか分からないですが、「男の恥部」をまざまざと見せつけられる映画でもあるからです。これは断言してもいいのですが、世の男たちに「全く堀越二郎的な部分」がない人はほぼいないと思います。
一言でいうと 「薄情者」なんです。
そして、美しい女性たちにはよく思われていたいんです。
自分本位で相手のことを思いやったりする能力もありません。
「そんなことない、アタシの彼氏は ちゃんとアタシのこと見ていてくれるもん!」っていう方。超ラッキーです。
相手方の男性はかなり自身のことを客観視できる理性をもっているか、もしくは 分厚いメッキ加工をされていて素顔が見えていないだけかもしれません。
もうね、断言しちゃう。
あんまり男性、女性っていう表現自体がどうかと思うけど、「オトコ」ってそういうところホンっとダメだから!
作内でも恋人の菜穂子が肺結核の治療のためにサナトリウムに入っている最中に自分が企画している飛行機の設計のことばっかり考え、昼夜仲間たちと語り合っています。
かつ彼女宛に送った手紙の内容も彼女の話題なんてそっちのけで飛行機のことばっかり。
結果的に彼女はサナトリウムを飛び出し、死期を早めてしまいます。
二郎に自分のことも見ていて欲しい。
頭の中に自分の存在を住まわせてほしいというね。
あーなんていじらしい娘なのでしょう!
サナトリウムを飛び出した菜穂子。追って飛び出した二郎まではよかったのに、無事に再会を果たした菜穂子に声を掛けた二郎のセリフがまあ「やめてくれ!」度が高い。
「よかった。見つけられなかったらどうしようって心配した」
心配していた理由は菜穂子の体調ではなく、「すれ違ったらどうしよう」「見つけられなかったらどうしよう」という自分への心配。
世の女性たちはたぶんカチンとくる言葉じゃないでしょうか。
でも二郎含め男性陣はやっちゃう。出来てしまう。
宮崎監督も、どうしようもない無意識の「冷淡さ」をこれでもかと分かり辛く随所にちりばめていく。
そういう点で、「風立ちぬ」は素晴らしい作品だった。二郎の目線、しぐさ。細かい動作の節々に、そんな男性たちの「どうしようもなさ」がちりばめられていた。やめてくれと言わんばかりに・・。
美しい飛行機を作ることを求め、完成させた先に黒い戦争があり悲劇を産んだ。
そして行き着く先は、ご存知の方も多い通り零型戦闘機は日本空軍の象徴のような存在となり、敗戦。
最後の場面でカプローニが二郎に言います。
「まだ風は吹いているか。日本の少年よ。」
カプローニもまた、男の象徴なのです。