ハエが止まるようなストレートでも
プロ野球の今シーズンが佳境を迎えています。
昨今、プロ野球の地上波放送がめっきり減るくらい以前ほど野球人口は増えていないようです。
僕が小学生の時代はJリーグの開幕前夜ということもあり、野球ができない小学生の男の子はいないのではと思うくらい、身近に野球がありました。
意外に思える方も多いと思いますが、僕も1~3年生まで地元のチームでプレイしていました。身体のキレはまったくなくなりましたが、基本的なプレーは今でも出来ると思っています。
当時は叶いませんでしたが、僕が好きなポジションは「キャッチャー」です。打者の様子を見て、ピッチャーに球種の指示をしたりします。モチベーションの管理もしたりします。
有名な選手だとプロ野球の解説者をしている「古田敦也」さんを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
ですので、仕事をしたりするときもキャッチャーの気持ちになるというか、木工の職人さんや会話をしている相手の方をピッチャーと仮定して、話をしている時がたまにあるんです。
魅力的な語りをする方、トークがうまい方はいわゆる「投球術に長けている」かたですね。
「しゃべる仕事」をしている方たちは本職のピッチャーみたいです。
「曲がる球」や、いわゆる「見せ球」で引き付けておいて、最後は「落ちる球」で見事に場を持っていきます。
「しゃべりが下手なんだよね」という方は「天性的にピッチャーに不向き」かもしれないことはありますが、それ以上に「マウンドに上がったことがない」というだけなので、心配ないです。訓練しないとなかなか投球術は身につきません。
ただし不思議なくらいに投手にばかり目が向きがちで、女房役のキャッチャーに焦点が当たることは少ないです。
投手が投げてくる球でもキャッチング出来なければ完成しないのです。
漫才師であれば、いわゆるボケが「ピッチャー」。ツッコミが「キャッチャー」の役割を果たしていることが多く見受けられます。最近はかなり違いますが・・。
つまり話を「聴く」こと。「聴き力」について、もっとクローズアップされていいのになあって思うわけです。
引っ込み思案な性格の方を中心に、なかなかマウンドに立ってボールを投げ込む機会を持つ方は日本では希少なのかもしれません。
ただし、必ず、必ず、必ずマウンドに上がり投球をする機会が訪れます。
それは愛の告白なのかもしれません。
不当なものに対する抗議なのかもしれません。
「私、会社をやめます!」という決意なのかもしれません。
「お嬢さんをお嫁さんに下さい」という勝負なのかもしれません。
そんなときはマウンドに立ち、精一杯ボールを投げ込むことになります。
山なりのおそーいハエが止まるようなストレートボールしか持っていないかもしれません。それでも胸を張って全力で投げるタイミングがあるんです。
だからこそ僕は名キャッチャーになりたいんです。ピッチャーを励ましたりなだめたり、落ち着かせたりして、最高のボールを投げて欲しい。
意識的に「聴く」ということを猛練習してね。そんな選手、いてもいいと思いません?
埋もれてしまっている宝石がたくさんあるように思います。文化だったり、製品の場合もあるけれど一番は人間の可能性です。見つけて、発信してよりよい世界を共に生きましょう。