人生に「逆転」は存在しない
「私はこれで人生大逆転しました!」
CMやメディアで盛んに取り上げられ希望のように映ります。
確かに、「Before→After」の時系列で環境を比較することは伝わりやすいです。
そのことで救われる人たちも多いと思いますし。
でもね、時々僕は思うんです。というか噛みしめるように冷静に感じてしまいます。
「人生に逆転は存在しないのだ」と
マイナスの意味でも、プラスの意味でもありません。
そもそも「逆転」という発想自体が捉え方によって変化してしまうからだからです。
例えば、逆転という言葉が生まれた背景が、「ちょっとふくよかなのが原因で大好きな男の子に振られてしまった女の子が一念発起。ヨガレッスンやエクササイズ。美容についての勉強をしてモデルになった」という物語があったとしましょう。
逆転という言葉を使うのならば、
「モテなかった女の子の逆転劇。パリコレモデルへの道へ」
といったテロップをつけそうですね。
実はここでいう「逆転劇」は他人軸がほとんどなんです。
彼女自身の自分軸でそう思っているかどうかは不明瞭なんです。
男の子にフられてしまったのがトリガーであることは間違いないでしょうけど、初めてみたヨガレッスンの世界に夢中になり、「自身の健康のこと・美容とは何か」に興味を持ち磨いた過程は全て「彼氏に振られた」ことには起因していないところの方が多いはずです。
彼女の人生において大切なことは
①夢中になれることを見つけたこと。
②自身の美しさに気がついたこと。ではないでしょうか。
ひょっとしたら彼氏に振られなかったら彼女の人生が変貌することはありません。内面の美しさも磨く過程において、彼女自身は「彼氏に振られた出来事・環境」も許容している可能性だってあります。
でもそのことを番組で伝えたところで彼女の価値を高めるだけで刺さる人は少なくなってしまいます。行動変容に繋がる内容にはなりません。
ですので、あえて他人軸ベースでスポットを当てて「見せて」いたり、「伝える」ことが多いのです。
つまり、「人生逆転をしたい!」と願ったり憧れたりする人たちの思考のベースは他人軸であるケースが高いのです。
かくいう僕もそうだったと思います。
「幸せだ」という価値観や環境は人によって違うはずなのに
他人が考える基準に自分を寄り添わせて 随分と可哀想なことをしてきてしまいました。
人生に逆転は存在しないのです。
大切なのは自分がどうありたいのか
何をしていたいのか
そしてどうするのか
正直に自分と話し合って行動してみることに尽きると思ってます。
どんな風な言葉を使ったらいいのでしょう。
「気がつく」かもしれません。
「気がつく」ためのトリガーは 他者なのかもしれません。
誰かにそっと触れられたときに 頬の冷たさにやっと気がつくように。
今日という日の世界が、良き出逢いに包まれていますように。
埋もれてしまっている宝石がたくさんあるように思います。文化だったり、製品の場合もあるけれど一番は人間の可能性です。見つけて、発信してよりよい世界を共に生きましょう。