いつの間にか旅立ちまで1ヶ月を切っていた


今日は7月の中旬から発つロシア東欧旅行のため、ビザの申請を済ませてきた。このことについては昨日のnoteでも触れたのだけど、ロシアのビザというのはなかなかに面倒で、しかも申請には東京、大阪、新潟、札幌のいずれかにある大使館・領事館に足を運ばなくてはいけない。

代行業者に頼むという方法もあるのだけど、受け取りまでの時間と費用がかさむので手前でやることにしたのだ。そのために、今日は朝から大阪に行って、申請を終えたら速攻で名古屋まで帰ってきた。
大阪に滞在して時間はわずか2時間だった。



「もしかしたら書類の不備で申請を断られるかもしれない」という心配もあったが、結果は無事に終わり安堵している。
しかし、それと同時に「いよいよ出発の準備もしなくてはいけない」と思わされる。そう、出発は7月の13日。日数にして今日からおよそ23日しかないのだ。


今回のロシア東欧旅行の目的は主に「旧ソ連の遺産を巡る」ことだ。
モスクワに始まり、サンクトペテルブルク、ウクライナ、ベラルーシなどなど、かつて存在したソ連という国に属していた地域や国の今の姿や。
社会主義国特有の無愛想な建築物を見に行きたい(ブルータリズム建築というらしい、具体的にはこういうヤツ)。



こういう建築物って、すっっごいロマンがあると思いませんか?
現代の日本の建築物とは思想がまるで違うような気がするあたりとか、そもそも機能性や利便性を考えているのか?とか。
っていうか図案の段階で誰も「生理的に薄気味悪い」って言わなかったのだろうか?それとも、当時としてはこれが最先端として受け入れられていたのだろうか?
今でも、古い温泉街などのいかにもバブル期に流行ったであろう感じの建築や内装を見た時に「あぁ当世風だなぁ」と感じることはあるけど。
旧ソ連の建築物を見たときの感想とはそれとはまったく違う。当世風でもなければ今世風、未来風でもない。まったくの未知、特異点だ。


ここ日本とロシアのモスクワまでの物理的な距離はだいたい7500km。
地球の円周のだいたい5分の1くらい。
しかし、こういった未知の建築や文化から垣間見えるロシアという国が持っていた理想や思想は、地球の5分の1どころか月よりも遠いような気さえしてくる。
旧ソ連という国の持つある種のそういった深遠さが、ぼくの目には強大なロマンとして飛び込んでくる。


だからぼくはそれらの建築を自分なりの解釈で写真に収めようと思う。ぼくの頭の中にあるロマンの国としてのロシア、ひいては旧ソ連を、カメラという機械を使って誰の目にも見える形に引き出したいのだ。

具体的にどんな写真になるのかは言葉にできないけれど(というかできたら写真を撮りに行く必要がない)、今年中にはこのnoteを読んでいる人にも見える形で公開したいと思っている。


そう考えるとワクワクしてきた、もう寝る時間なのに。それに、ワクワクするより先に旅の準備をしなくてはいけない。あぁ、今から楽しみだ。




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