自分が、テラスハウスを見るような人間だとは思っていませんでした
「テラスハウス」というテレビ番組が一体どんな番組か、もはや説明する必要もないだろう。
見ず知らずの男女が一つ屋根の下で共同生活を送りながら、お互いの友情を育んだり、恋に溺れたり、陥れたりする番組。簡単に言えば和製ゲームオブスローンズだ。
この番組がもっとも世間の関心を集めていたのは、多分5年ほど前だったと思う。大学の友達からバイト先の同僚まで、みんながみんな口々に「今週のテラハ」の話や「今シーズンの名シーン」を語っていた。
かたやぼくは、そのブームは圧倒的に乗り損なっていた。
おそらく、ぼくと同じようにテラスハウスのブームに乗り損なった人間はたくさんいることだろう。そして彼らはぼくと同じように、流行りであるはずのテラスハウスに関心が持てない理由として、口々にこういったはずだ。
「人の恋愛事情に興味がない」
他人の恋愛をアレコレ眺めて「あれがいい」だの「これがいい」だのいう趣味はないのだ。というかぼくの場合、正確には自分の恋愛もままならないので、そんなことを言っている余裕がなかった。
いかにも明るい人生が待っていそうな美男美女たちが雁首揃えてやれ惚れただの腫れただの、吸っただの揉んだだの、入れたの出したのデキたのなんだの、ええぃ知るか!そんなもん!
もっと隅っこの方でやれ隅っこの方で!見ず知らずの男女がイチャイチャしてるのを見てると、高校の時に朝早く登校したら隣のクラスの名も知らないカップルがカーテンに包まってキスしてたのを見てしまった時のあの微妙な空気感を思い出してちょっとゲンナリするんだよ。
見せるんじゃないよそんなものを、こっちだって興味あるわけじゃないから見たいと思って見たわけじゃないけど、見てしまった以上はなんか心の奥の方にちょっとモヤっとして気持ちが残るんだよ。あと出てくる女の子が基本みんな可愛いから悔しい気分になるんだよ。
*
5年くらい前までのぼくはだいたいこんな感じだった。
テラスハウスの面白さというものがよくわからなかったし、特に積極的に見たい番組だとも思っていなかった。
だが正直に告白しよう。
5年後のぼくは今、Netflixで配信されているテラスハウスの最新シリーズを、とても熱心に追ってしまっている。
今では、Netflix新エピソードが公開される火曜日が来るのを毎週を心待ちにしているし、エピソードの追加がなかった先々週は心なしか気分が沈んだ。あのテラスハウスを、とても熱心に追ってしまっているのだ。
はじまりはふとしたきっかけだった、はじまりというのはいつもそうだ。パソコンに入った写真を編集しながら、作業中に流せるような番組を探していたところ、たまたま目に入ったのが最新のテラスハウスだった。
当時は新シリーズが公開されたばかりで、Netflix側も強くおすすめしていたため、それ以前のシリーズを見たことがないぼくの画面にも番組の再生ボタンは大きく表示されていたのだ。
そしてそのボタンを軽い気持ちで押してみたところ、その先には新しい世界が広がっていた。
テラスハウスの面白さというのは、例えていうなら「競馬」のそれに近い。
競馬の楽しみは、ただ鍛え抜かれた一流の馬たちの走りを眺めるだけではなく、そのレースにかかっている賭けの仕組みに自分が積極的に参加することにある。
どの馬が先頭で走りきるのかを勘で当てるのではなく、当日の地面のコンディションや馬の体調、筋肉の締り具合、騎手との相性、過去のオッズの推移など、あらゆる場所に隠された「サイン」をもとに、それぞれのレースの覇者を計算するのだ。
これはテラスハウスでも一緒だ。
そこで繰り広げられる熾烈な恋愛戦争をただ傍観するだけではなく、どの馬がもっとも早く走り抜けるか。つまり、だれがもっとも玉座に近づくことができるのかを緻密に計算する。
そのために、出演者の一瞬の表情や、何気ない言葉遣い、服装。ちょっとした仕草、当日の地面のコンディション、体調、筋肉の締り具合をつぶさに観察するのだ。
そうすることで、常にその先に起こりえる修羅場や濡れ場といった超展開を予測し、自らが信じた男や女の一挙手一投足の結果に一喜一憂する。そう、テラスハウスとはまさに、和製ゲームオブスローンズなのである。
ちなみなんですけど、競馬の予想方法ってこれで合ってますか?やったことないので。