京大霊長類研の解体を元所長たちが考察する - 哺乳類の進化17
2021年に京都大学の霊長類研究所が解体されました。そのきっかけとなったのは2件の不正行為でした。世界に伍して霊長類学の研究を進めてきた、日本を代表する研究体の解体は大きな驚きでした。どうしてそんなことになってしまったのか、霊長類研の元所長たちが考察しています。
原著論文:Jxiv. 杉⼭幸丸ほか. 2024. 霊⻑類研究所解体の経緯を考える.
筆頭著者の杉山幸丸氏は、第8代所長(1996年1月 - 1999年3月)です。おそらく身内としての気遣いからか、この論文の中では事件に関わった当事者たちが匿名で記載されていますが、公表もされているのでここではわかる範囲で本人名で書くことにします。
霊長研であった2つの不正行為は、「高額の研究費不正使用」と「研究論文の捏造」でした。1件目の「高額の研究費不正使用」では、2011年頃からチンパンジー檻の建設について、低額で落札した建設会社が工事を行ったところ(その一つが上記写真の緑の施設)大きな赤字が出てしまったので、発注者の松沢哲郎特別教授や友永雅己教授らにその補填を求めたところ、架空発注などの不正経理によって一部補填されたものの途中で連絡を打ち切られてしまった。そのため、建設会社は京都大学からの賠償を求めて裁判所に提訴した。2017年、裁判の結果、賠償は認められなかったが、松沢氏らによる架空取引、談合、入札妨害など、合計11億円以上の不正経理が明らかになった。京都大学は、2020年に松沢哲郎特別教授や友永雅己教授を懲戒解雇し、他の関係者に対しても停職などの処分を下し、2021年に霊長類研の解体を発表したという経緯になっています。
著者の杉山氏たちはこの事件について、原因を考察し、霊長研だけでなく日本の科学界や科学行政における問題点を挙げています。
①その元凶が研究資金の「選択と集中」であるとしています。2004年の国⽴⼤学法⼈化の前後から、⽂部科学省は政府出資の研究資⾦を「選択と集中」の⽅針に基づいて教育研究費に配分してきました。それによって、⽇本の研究者間の格差は増⼤してきました。松沢教授はこの仕組みにおける勝ち組なわけで、2010 年から2012 年にかけて松沢教授が獲得した競争的研究資⾦の総額14億円は、霊⻑研が獲得した競争的研究資⾦の総額の60%超に及び、霊⻑研の総予算を⾒てもその約35%に達していたといいます。⽇本の科学界における「選択と集中」路線は、貧富の差を拡⼤させ、少数特定の個⼈、研究グループを豊かにする⼀⽅、科学に必要な幅広いすそ野を切り捨てることになり、2000年代からの世界における⽇本の科学の⽔準の低下に繋がっていると指摘されています。
②このような「選択と集中」が、今後も継続されると想定されます。すなわち、⽇本の中⼼的な研究⼤学や研究機関に所属する研究者および事務官、そしてなによりこれらの組織の⻑は、このような多額の研究予算を管理運営するためのノウハウと⼼構えをもつことが、好むと好まざるとに関わらず要求される時代なのだとしています。今回の事件も、霊長研の所長や事務局が早めに対応していればここまで大きなことにならなかっただろうと述べています。それができなかったのは、松沢教授という「偉い人」に対する怖さや遠慮があったようです。そこで、次のような提案がされています。「教育研究組織の⻑には、組織運営の講習を義務づけることを提案したい」「それ以上に⼤事なのが集団の⻑に就いた者の責任の⾃覚である。優れた研究者であり学者であり、周囲の信頼を得ている⼈物であっても責任者としての⾃覚と⾏動の⽋如した⼈物が多いように思われる」
2件目の「研究論文の捏造」は、2014年から2019年にかけて正高信男教授によって国際学術誌Frontiers in Psychologyに投稿・掲載されていた、精神発達や自閉症などに関する臨床試験の4つの論文が、研究を実施した形跡のない捏造であったというものです。捏造が発覚したのは、臨床試験の実施に際して霊⻑研の倫理委員会の承認を得ていなかったことがきっかけとなっている。不正調査委員会の請求に対して、正高氏は調査への協⼒を⾏わず、研究資料データ等の資料提⽰を⼀切⾏わなかった。また、研究室にも調査対象の論⽂に関連する資料は残されていなかったという。調査委員会の捏造認定を受けて、⼤学はその時点ですでに定年退職していた正高教授の退職⾦の⽀給を差し⽌めました。
著者の杉山氏たちはこの事件について、正高元教授がどうしてこのような行為に及んだのか理由がわからないと次のように記しています。「正高元教授がなぜ論⽂捏造に及んだのか、その理由は今もって不明である。論⽂執筆の時点では正高元教授は定年を間近に控えており、すでに多くの研究業績によって国内外の研究者たちから⾼い評価を得ていた。このような⼤々的な捏造をおこなってまで数編の論⽂業績をあげる必要が彼にあったとは思えない」
京都大学が霊長研の解体を決定した後、事態を憂慮した⽇本霊⻑類学会、⽇本⼈類学会、⽇本哺乳類学会、⽇本進化学会(有志)、国際霊⻑類学会はそれぞれ霊⻑研の果たしてきた多⼤な貢献と現時点での重要性を鑑み、閉鎖しないよう要請しました。また⿊⽥末寿によるオンライン署名は、国内外31,863名から賛同の署名を集めたそうです。しかし、⼤学執⾏部の決定を変更させることはできませんでした。