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[絶景]中国・杭州の西湖と日本の名園
日本人が憧れる西湖の美景を取り入れた庭園の数々
文 / 写真 吉河功(日本庭園研究会会長・作庭家)
筆者プロフィール:吉河 功(よしかわ いさお)
1963 年東京にて日本庭園研究会を創立。同会会長。中国園林研究には 36 年の実績がある。現在蘇州市風景園林学会と杭州市風景園林学会の名誉理事。著書、論文多数。中国園林の著作に『中国江南の名園』『蘇州園林写真集』『蘇州耦園之美』等がある。
日本人は古くから中国の名勝風景に強い憧れを抱いてきた。
湖では鄱陽湖 ( 江西省 )、洞庭湖 ( 湖南省 )、太湖 ( 江蘇省 ) など名高い景勝があるが、中でも杭州の西湖は最小の湖でありながら、「西湖十景」が最もよく知られている。
西湖の美景が日本に伝えられたのは、禅文化の移入と共に好まれた中国の詩文や水墨画等の影響があると思われる。
江戸時代初頭に大名や文化人達の間で「西湖」が有名になると、その景色を庭園に取り入れたいという動きが起こった。
ここでは日本の有名な庭園に残る西湖の影響を見ながら、日中の文化交流の軌跡を繙いてみたい。
小石川後楽園
小石川後楽園(東京)は水戸徳川家の下屋敷に造られた大名庭園。水戸家初代賴房の時、寛永17年(1640)3月、林羅山が園内を巡り、 頼房の求めに応じて名高い『小廬山記』を著している。明暦大火後ここは上屋敷となった。1665年、徳川光圀は学問的欲求から名師を求め、明朝の遺臣で長崎に亡命していた名高い儒学者朱舜水(1600~ 1682)を師として迎えた。
光圀はこの頃すでに上屋敷庭園の改修(第二次作庭)に着手していたが、朱舜水を学問の師としたことによって、中国趣味は一層深まった。 朱舜水は漸江余姓の出身である。朱舜水にとって「西湖蘇堤」は懐かしい故郷の風景であった。その時から、庭園の西南部に「西湖」の造形が造られた。それが現存する縮小形式の「蘇堤」である。
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