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月9みたいなほんとの話

社会人1年目の冬のはじまり。わたしは山に囲まれ、埃っぽい半地下の事務所にいた。
ここは北海道。もうすぐオープンするゲレンデが、わたしのこの冬の職場。まあ、要するに人手不足でかりだされた。

冬だけ働いてくれる人なんて大量に見つからないから、もちろん派遣会社から人を送り込んでもらう。いわゆるリゾバというやつ。雪が解ければ彼らはどこかへ飛んでゆく。
大量に重なった履歴書をぱらぱらめくりながら、ほんとうに日本中から、こんな辺鄙な場所へこんなに人が来るんだろうか、と半信半疑でいた。まさかこの紙の束の中に、未来の結婚相手が紛れているなんてわたしは思いもしなかった。

山には雪が積もり始めて、わたしは派遣の子たちと働くようになった。
といってもだいたいが年上だし、中にはおじさんもいたけど。
だいたいが本州から来ているので、出身地や北海道トークが定番だった。
ある時、愛知からきたという彼とジンギスカンの話をしていて、無性にジンギスカンが食べたくなった。めっちゃ食べたい、いま食べたい、ビールも飲みたい!とわたしは熱弁をふるった。コンビニひとつない、山に閉ざされたこんな場所じゃあ、仕事帰りにちょっと行こうか?なんてことはできないから、その欲求はさらに高まる。次の休みは絶対に、ジンギスカン(とビールとごはん)食べる!と決意してわたしは慣れない場所でひたすら働いた。

ようやくやってきた休みの日、わたしはさっそく、住み込みの山深い職場から下界へ下りて、家の近くのセイコーマートで冷凍のジンギスカンを買って帰った。ビールはなかったけど、自分の家で食べるジンギスカンとごはんはおいしかった。
さてショッピングでもしようかな、とお気に入りのファーコートで出かけると、彼から連絡がきた。なんと彼も休みでジンギスカンを求めて下界におりてきたという。近くにいたのでとりあえず合流した。
「とても言いにくいのですが、お気に入りのファーコートににおいをつけたくないので、ジンギスカンは行けません…」
と申し出て、ジンギスカンを求めるはずの我々は、回転寿司に行った。
カウンターで横並びにお寿司をつまんでいると、ふと、冷たいものを流し込みたくなってビールを注文した。じゃあ飲もうかな、と彼もビールを頼んだ。

じゃあ、へへへ、かんぱーい!ふふふ。

よく知らない人と成り行きで乾杯するのがちょっと不思議で、照れくさくて。なんかそんなような感じで笑っちゃいながら乾杯したから、ジョッキも控えめに「カン」という音がした。

次の瞬間、え!?と思った。
こんなにおいしいビール、飲んだことがない。ほんとうに。
言葉にできない妙な何かがあるのだ。なんだ?もちろん中身はいたって普通においしい生ビールなのに。

「なんか…ビールがいつもよりめっちゃおいしいんですけど。めっちゃおいしい。」と言ったわたしに、もう覚えていないけれど彼はきっと
そうですねー、とか、ほんとにおいしい、とか笑いながら言っていたんだと思う。
これが正真正銘、いままででいちばん、おいしかったビールだ。

今度こそは!と、次の休みに一緒にジンギスカンを食べに行って、乾杯した時も妙においしいビールだった。その次も。そのまた次も。
あれ、今日もビールがおいしいな。そう言い続けた。
そう、みなさんお気づきの通り。彼と飲むビールだから、なぜだか本当に、おいしいのだ。

一緒に飲むビールがおいしい人。そんな人と、わたしは結婚した。


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