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ウィーン日記|変だからいいんだよ
帰りの路面電車で、「変かな?」と照れ隠しのように君は言う。「いやおもろい」と俺は言う。変じゃない人間なんていないでしょ。変であることがいいんじゃない。自分がじぶんであることってだいたい変なんだから。逆に俺は、変なところが1ミリも見えない人の方が信用できないっていうか、よくわかんない気がしちゃうな。「変な人だ」「変わってる」とおれが言うとき、それは大抵そのひとを全肯定しているときだったりする。
今でも、ときめくような恋がしたいと思ってる。これも変でしょう?木の周りをぐるぐる回ってバターのように溶け合って、2人だけの世界に逃避したいと思っている。全部わかり合おうとして、でも出来なくて、だから一緒にバターになるの。ああ、恥ずかしい。子どもみたいでしょ。でもほんとにそう思ってる。それで、「もう大学生みたいな恋愛は出来ないよ」って言われたこともある。クリムトの絵や江國香織の小説のような、甘ったるい世界に浸っていたい。あ〜〜恥ずかしいと思ってることも恥ずかしくなってきた。
だから、私はわたし、あなたはあなた、と明確な線引きがされているような、独立した個人同士の関係を見ると、成熟しているなと思う。互いに依存がなく、ドライで都会的で、恋愛というよりはパートナーシップと呼ぶ方がしっくり来る。それでいて、互いに与えていて、助け合ったりもしてる。なんて健全でたくましい関係。
*
いつも、ひとの変なところが見たいと願っている。ほかの人と違うところ。あなたがあなたであること。それを紐解くと、他者との交わりや社会での立ち位置みたいなものが関係している。でも、そこで何を受け取るか。何を見て、何を感じて、何を受け取るか。そういう、経験を切り取るセンス。良いセンスも悪いセンスもなくて、あなたが経験を意味づけてそれを評価する仕方。そういうのが、じぶんの中にあるんじゃないかな。じぶんは内在してる。いつでも。
その、外界で起こる出来事、内的に感じることを意味づける仕方がもともと固有にあって、壊したり、作り直したり、磨いていくものなんだろうね。世界の見方はいつだって作り直せるし、選び直せる。今この瞬間でも。
ただ、そのじぶんはいつも他者にさらされて、社会に試されている。理解されたり、されなかったり。影響を及ぼしたり、無視されたり。これは良いセンス、悪いセンス、これは成功、これは失敗って常に侵食してくる。他者からの承認やすきな人からのリアクション、社会からの評価が、じぶんの経験を意味づけるセンスに影響を与えたり、根こそぎ変えたりしてしまう。
そういうベールを剥いで、クリアな目で他者と社会を観察して、じぶんの世界観に自覚的になったり、選び直したり、そこから抗ったりしたい。確固たるありのままの自分を探し求めるのでもなく、他者や世界に呼びかけられる対象としてのみ自分を捉えるのでもなく、もっと自由にじぶんの世界観を思い描いてみたい。じぶんを複雑でぐちゃぐちゃのまま捉えて、その形を自分で変えてみたい。
世界の見方って何なんだろうね。わかんなくなっちゃったな。
(おわり)
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