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労働日記|仕事の領域と理不尽の源泉

11/1
 丁寧に仕事を引き受けないといけない領域と「それは出来ないです」と自分に大き過ぎる仕事や責任が押し付けられないように立ち回るべき領域の見極め、これもサラリーマンの一つの卓越性なんだと思った。

 出来ないことを引き受けても自分の首が絞まるだけだし、やるべきことを放棄するとその分誰かが困る。その見極めが出来る人達もいて、彼らは自分の仕事の範囲を理解している。自分たちは何のために存在していて、こういう役割を担っている。だから、ここからここまではできるけど、ここから自分の範疇にないと分かる。他の立場の仕事の領域についても理解している人もいる。この仕事はこの立場の人がやるべきこと、自分はここまでであとはこの人の仕事、そういうことを知っている。ノズルの見積、これを見返す時、覚えているだろうか。無茶なお願いだった。

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 組織の中で働く、そして取引先と一緒に仕事を進めていく時には、そういう領域への理解が必要になってくる。私は何をすべきで、何をやらなくていいのか、優先順位をどうつけるのか。仕事ができる人ほど的確な判断の持ち主であると思う。

 今の俺は的確な判断が出来るほど、立場ごとの役割分担も自分がどこまでやんなくちゃいけないのかも分かってなくて、いつも出来ないことを何とかならないかテンパって、焦んなよ、と叱られている。自分が請け負うべきこと以上のものを請け負っ使まう。「やります」「わかりました」と安易に言うのはやめておけ、と嗜められる。頑張らなきゃ、やらなきゃって思っちゃうんだよな。そうでないと認められないと恐れている。何をビビってるんだろうね。断っていいことだと分かってないから、引き受けてしまう。理不尽なことだとか無茶なことを言われてるとかそういうことが分からなくて、平気で耐えてしまう。

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 理不尽には源があると思う。仕事を最初に振る人、もしくは途中の人が神経質で途中から無茶な仕事になってしまうという時もあるだろう。いずれにせよ、理不尽や無茶には源があって、下々は「それは無茶です」とか「出来ないです」とか言わないといけないんだと思う。自分の身を守るためにも、理不尽を罷り通さないためにも。だから、何が理不尽であるか、どこからが無茶なのか、それを判断出来ないといけない、というのが今日の結論になりそうだ。

 だから、サラリーマンってそういうものだよねとか、働くってそういうことだよねとか、転勤も低賃金も職場の人間関係もしょうがないって理不尽に蓋をするのはやめようよとも思う。話が変わってしまうのでまたにしよう。

11/2
 昨日は「もう無理〜」ってなってたけど、先輩の言う通りやってみたらすんなりいけた。いけるやん。面白い……!と寝不足なんて吹き飛んだ。工夫すれば仕事も上手くいくのか。アイデアと工夫とコミュニケーション次第でどうとでもなる。相手に任せて自分はただ相手の言うことを聞くんじゃなくて、自分でベストな方法を模索すること、勇気を出して話してみること。

 管理職の二人と話して、これが器か、と少し慄いたのと同時に、もう少し二人に頼ってみたらよかったかもなと思った。器の小さい人達に相談しても小さい答えしか返ってこない。器のある人たちは大局を見据えて、本質を見ようとしている。「私はそれでいいと思いますよ」と共感を見せ、「経験と人脈が後々になって生きてくるはず」と励ましてくれた。もう一人は、開口一番「しょうがないね」とさらりと言い、「自分の人生だ」と愛をかけてくれた。一つの節目であると思う、今日は。こうやって一歩ずつ自分の舵を切っていくのかな、とうれしかった。

 俺はニーチェ研究者になるんじゃない、哲学プラクティショナーになるんだぜ、とレモンサワーを飲みながら、ねむる。

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建内 亮太
最後まで読んでくれてありがとう〜〜!