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労働日記|あけましておめでとう2023
元日の夜に友達と中華街で小籠包を食べる。
子を持つ覚悟を持てない、その大きすぎる責任に答えることは出来ないだろう、だから子供は作らないんだと話した。子を作らないように細心の注意を払ったとしたら、それは可能なわけで、子が出来るというのは不注意かエゴかのどちらかでしょう、と思うから。つまりね、子供が生まれたときというのはどうしようもなく作る側がいて、理由はどうあれ作ってしまった以上、その責任を負うべきである。例えば、安全地帯を作ること、無償の愛を与えること、支えたりケアしたりすること。それらの子供への応答はすべて、もはや義務と言ってしまってもいいように思われる。
でも友達が「こんな時代に産んでしまっていいのか」という問いを出したときに「いいんじゃない?」と楽観的な言葉が口をついて出てきた。「好みの話なの?」と聞かれて、子を持つ覚悟がない奴が多すぎると嘆きながら、別に子を作ってもいいんじゃないと思ってもいることを知った。その矛盾を友達は見逃さなかった。
でも、親の覚悟もなしに生まれてきてしまった子だって、どんなに恵まれなくたって、全部ひっくるめて自分の人生として前を向いて生きることもできると思うから。ああ、頭の中お花畑だろうか。でも、「生まれてこなければよかった」なんて言ってしまうのは、何かを見落としているような気がして。ナルトの53巻を思い出していた。それに、覚悟もなく始めてしまった子育てであったとしても、愛を持って大切に子を育ててきた両親を知っているから。だから、覚悟もなしに子供を産むな、と言い切れないでいる。
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