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ウィーン日記|はじめての左派パーティへ
ユダヤ系左派団体の主催するパーティに行った。オーストリアでは移民問題が、日本で言う高齢化問題くらい深刻で、前の政権が移民問題を放置しちゃったもんだから、オーストリアでは今は極右が政権を握ってる。極右ってのはつまり、オーストリア人以外は排斥して、オーストリア人だけの国を作ろうとしてる。それに対して左派は、どうやったら違う他者と生きていけるかを考えてる。その左派の学生団体が主催するパーティに足を運んだ。
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1ヶ月前、大学の中庭でひかえめに開催されていた左派フェアに足を運んだとき、ブースに座る3人のなかにあなたはいた。あなたはおだやかでしずかに、けれどもたしかに社会について考えていた。自分が何をすべきか、あなたも探しているようだった。1ヶ月後にイベントがあると聞いた。秋の夜なのにここだけあたたかく、まぶしかった。
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耳元で話さないと声が通らないような暗い部屋を後にして、バーカンにもたれて話した。あなたはオムレツに殻が入っていたとでも言うように、すこしかなしそうな顔をして、けれども当たり前の日常生活の一部として政治の話をしてくれた。都市部のウィーンと地方の違い。地方はほとんどがオーストリア人で占められていること。ネオ・ナチズムという極右団体が活動しており、右派なのは基本的に地方であること。左派団体も一枚岩ではないこと。
社会のなかで活動しているひとに憧れる。どうやったら違う他者と一緒に生きることができるか、考えているひとに憧れる。あなたは、他者と当たり前に関係を結んで、社会に働きかけようとしぶとく立っている。
他者との関わりのなかにじぶんを開いているひとに、自分にはないものを見ている。きらきらと光る水面のようにうつくしいと感じながら、俺は革靴で海に来てしまって、飛び込むことができない。ああ、おれはこのひとにはなれない、とちいさく絶望する。
どこかのどかな街で、こぢんまりとした関係のなかで、好きなひととしずかに過ごしたい、と思っていることがかなしい。徒党を通してひろく社会に関わることも、他者との関係のなかに身を投げ入れることも、自分には向いていない、といまは思う。世界平和よりも明日晴れることを祈っている。
俺は政治じゃなくて、差別のない社会じゃなくて、あなたのことが知りたかったんだと気づく。どうしてあなたは、政治のことを考えているの。あなたにとって他者ってどういう存在なの。他者は怖くないの。俺が社会から逃げたいと思うのは、自分を守ろうとしてるだけなのかな。
社会との関わり方はまだわからない。もっと話したい、学びたいとは思う。でもまずは、哲学カウンセリングと哲学対話から始めよう。そうすることでしか、じぶんを開いて他者と関係することができない。今はまだ。でもいつか、あなたのように他者へ、社会へ、じぶんを開けるように。
p.s.
政治の話より、パーティの立ち振る舞いの方がよほど難しい。もっと出しゃばってよかったな、もっと話してよかったなと思ったり、あれは撤退すべき場面だったと思ったりする。話したい人のところに行って自分本位にいながら、周囲もすこしは見て、くらいでいいんだろうな。ぎこちなく音楽に合わせて体を揺らす。
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