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労働日記|マサルさんと

 場所を変えたところで問題は解決するのかな、とメビウスを吸うマサルさんと話して少し考えた。大学生の息子さんがいるからだろうか、ここにいる人とは少し雰囲気が違う。話が合う。合っているのかな、分からないけど。少なくとも楽しい。この業界では間違いなく少数派だろう。生まれ育った場所以外にも世界が広がっていることを知っている。「海外は興味ねえんすよね」と言うのに、俺がアメリカに行きたいと思っていると言うと、「ええっすね、行ったらいいすよ」とにっと笑う。

 何故だろう、マサルさんの前では”大学”という言葉は色を持たない。へえ、大学行ってたんだと距離を置かれることも、嫉妬を含んだ視線を向けられることもない。自分が大学を出ていないことをコンプレックスに感じている人は多い。俺はすごいんだぞ、お前なんて、と言いたくなってしまうのはきっと自分を守るためだ。

 それとは反対に、「今が一番楽しいんすよね」と充実感を感じている人は妬みや僻みを持たない。人を羨む気持ちはすぐに現実との距離感によって歪んで、腐ってしまう。どうしてこうなったんだという悲壮感とか、ああだったらいいのになという諦めとか。

 「でかい企業程パワハラ多いっすよね。17時過ぎて工場残っとる人なんていないしょ、はは。暑いのと寒いのさえ我慢できりゃ楽なもんす」と笑っていた。いいな、俺もこんなふうに笑いたい。気取り、虚栄心、そういうのとは無縁の場所にいつになったら身を置けるのだろう。40になったらマサルさんのようになっていたい。歳、そういえば知らないな。

 「やりたいようにやるのが一番すよ」と周りの友人たちが経営者として頑張っている話をしてくれたり、「昔は自分が食っていくとか家族食わせなきゃと思ってずっと働いてたし、今は従業員食わせていかないといけないんでね」と苦々しく笑ったりしていた。それなのに、後悔も微塵もないように見えた。「いや、今が一番楽しいんすよね」と自分でも不思議そうに繰り返していた。どういうことなんだ。「私らみたいのは手動かしてないとダメなんすよ、いらんことばっか考えるから」とケラケラ笑っている。いや、今生きることに熱中している理由はそんなことじゃないでしょ、いや、考えるってそんなに悪いことじゃないですよ、と思いながら、「いやいやいや」と俺も笑っていた。

 「若い人ってどういうモチベーションで働いとるんすか」と聞かれて、いやあ俺はレアケースだからなあとブツブツつぶやきながら、「仕事で充実感を得ようとは思ってないかもですね、仕事の他で人生を楽しもう的な」と答えた。「そうっすよね、自分のプライドとか、ここまでは出来ないとかっこ悪いなあみたいな気持ちはあるんすよね、多分。私もそうでしたから」と理解しようとしていた。

 仕事している時は若き経営者である。従業員の統率を取り、製品の仕上げを鋭く見つめ、キャド図と睨めっこしてる。「いや、お前は触っちゃならん」と高圧ガスの空瓶に手を伸ばす従業員を制し、弊社のパワハラ大魔神と目を充血させながら対峙していた。

 マサルさんと話していると、自分を生き生きと取り戻す。たとえ、拠点を変えただけで問題が解決しなかったとしても、その時は、問題は別のところにあったとわかる。人間関係の問題が解消されたとしても、会社に属し、義務的な仕事に身をやつすことに変わりはないからだ。とは言え、場所を変えるだけでも一歩前進と言える。

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 大学時代が上書きされたなと近頃感じている。2年が経とうとしていて、過去は完全に過去の思い出となって、あまり明瞭に思い出せない。

 だからこそ、やりたいことやれよ!!!とか諦めんなよ!!!とか、大学四年生の俺が隣にいて欲しい。ルフィ並に激しい剣幕で怒っていて欲しい。結局のところ、そこじゃん、と思うから。没頭できることがあり、好きな人と一緒にいられて、馬鹿みたいに笑う時間と穏やかにのんびり過ごす時間さえあれば、全てが解決するだろうから。

 でも、それらと食べていくことを両立することが難しい。ほんとうに難しい。働きながら舵を切ることのむずかしさよ。えいやっと踏ん切りをつけないといけないだろうな。勇気がいる。楽しく生きることを諦めない勇気、それは労働力として時間と体力を組織に捧げることをやめる勇気。若さと勤勉さを食べていくための武器にせずに生計を立てていきたいと思うなら、力をつけないといけないだろう。

 最近働いている友達と話して、編集者とメディア広告に関わる友達、児童養護施設で働いている友達もそう、卓越性とは実に多彩で、生きていく仕方も実に多岐にあふれている。

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 きっと来年は仕事を辞めるのだと思う。夏になるか冬になるかは分からないけど。会社を辞めることが一つのゴールであり、通過点であるから。自分が仕事にしたいことを見つけること、それが実現する道筋を探すこと、その道における卓越さを身につけること。あとは努力、努力、努力。会社を辞めることはその過程の中の、最も大きなことの一つであると思う。

 書いておきたい。喉元を過ぎてしまいそうなことを。仕事に疲れて帰ってきたような夜なんてすぐに忘れてしまうだろう。画面を見すぎて頭がグラグラと揺れながら、音楽を流すと、この感じはあれだ、映画のエンドロールだ。疲労で頭はどろんと溶けながら、そんなことはお構いなく音楽はノリノリで、夢のよう。

 こういう時に、留学して楽しそうにしてる人のTwitterを見に行ったり、堀越耀介氏の文章を読んだり、永井玲衣氏とGotchのスペースを聞きに行ったりする。したいと思っていることが自然と呼び起こされ、それに近づこうとするのはなぜだろう。楽しくない、疲れている、この渦巻く黒々としたストレスに出口を見つけるとしたら、好きなことをやる、それが一番の解決であると思っているから。だろうか。きっとそう、だ、、

(力尽きたので終わる)


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建内 亮太
最後まで読んでくれてありがとう〜〜!