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ウィーン日記|星に願いを

 俺も自分の哲学実践を始めようと思う。いま、その準備をしてる。真面目に、人目を気にしながら、でしゃばらずに生きてきたけど、いい人として生きてきたと思う。特に中学の頃は。それも自分の一面であるから、否定するとかじゃないんだけど、ほんとうはもっと変な人で、変なふうに生きてみたくて、人の目なんて気にしないで、ガハハと高笑いしながら突っ走るような人生に憧れてた。なんで自分はそうじゃないんだろうって悩みさえした。内向きで繊細で、少ない友人にだけ自分を開いて、あとは部屋に閉じこもってた。誰にも分かってもらえなくていい、ただ自分だけがこの熱狂の中に入れればいい。そう思ってたし、今もそう思う時はある。

 でも、いろんな準備が整いつつあり、これから世界に姿を現すのかな、という予感がする。社会にでしゃばって、俺俺俺って目立とうとして、外野の目線なんてお構いなし。そういう「ド派手にぶちかまそうぜ!」みたいな一年になるんだと思う。これからはマイルドヤンキー。って自分では思っても、他の人からしたらそんな大したことなかったりするのかも。まあいいや、とにかく、時間はかかったし、柄じゃないなってもちろん思うけど、自分の哲学実践を試してみるのが楽しみ。すごく。派手に失敗してもいいから、とにかく派手にやってみたい。こぢんまりするのだけはやめようって自分に言い聞かせてる。恥ずかしいよ、ああ恥ずかしい。

 これは、俺の世界との、社会との、他者との和解でもある。もう放っておいてくれ、俺は一人でいいからと言って部屋に閉じこもっていたのに、その扉を開けて明るい世界に踏み入れようとしている。うまくいくかなんてわかんないけどさ、それでも、誰かの役に立とうって考えてる。手を差し伸べたいって思ってる。つい最近までは、自分のことだけで精一杯だったのにね。今だってそうだけど、社会の中で哲学者として位置を占めようだなんて思ったことなかった。それができるのは、俺じゃないって思ってた。でも、その可能性に賭けてみたくて、未来の偶然に心を開いていたくて、始めることにした。

 他者との和解でもあるのというのは、俺は多分変な人で、かつ自分の殻の中に閉じこもりがちな人間だと思う。友人曰く、「そんな他人に対してシャッター下ろさんでもええんちゃう?」とのことだった。日本人と話す時は特に、どこまで哲学の話するかビビってたし、いわゆる「天然」なんだと社会人になって理解したりした。周りと同じじゃ嫌!って自分でも思うし、そんなに普段から悲観的ってわけじゃないんだけどさ、どこかで、理解されるのを諦めてる節があった。ほんとうの自分で人々の前に現れることは無理でしょって諦めてた。だから、理解しやすい型にはめて提出して、でもそれはたいてい窮屈で逃げ出したかった。逃げ出して、一人になって、さみしくなる。その繰り返し。多分、何度もうまくいかなくて、傷ついて、もう傷つくのが嫌で、理解されることを諦めちゃったんだろうなと思う。

 最近の俺はちょっと違う。変なまま、このまま社会に提出しようとしてる。だははって笑いながら、堂々と社会に存在しようとしてる。理解されたいとは思うけど、理解されないかもしれないともわかってる。どうでもいいんだ。そう、もうどうでもいいと思ってる。もう全開で行くから、理解してくれ。他人頼み。できることはなんでもする。なんでもするから見つけてくれ、俺を必要としてるひと!

(おわり)

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建内 亮太
最後まで読んでくれてありがとう〜〜!