ドイツ日記|転職する友達と恋人と暮らす私 2024.8.29
なんだか悲しくて、つらくて、でもこれをどうしたらいいか分からなくて悩むことがある。もしくはどうすればいいかはわかっているのに、それができなくて悩んでいたりする。今の状態を続けていることだけは違うと思いながら、この今に留まっている。それがつらいのに、今この場所から動くことができない。
違和感があって悩んでいるときはたいてい、自分が自分自身ではいられないことに悩んでいる。自分自身でいるというのは、本来のありのままの自分でいるというのとはちょっと違う。悩んでいる今だってありのままの自分だもの。ただ、誰しもに、自分が100%自分自身でいるための、世界に自分が自然に存在する仕方がある。
どこにいるか、何をするか、誰と一緒にいるか。どうやって生計を立てるか。何時に起きて、何を食べるか。どこに向かっていくか、なぜ生きるか。今から過去をどのように振り返るか。あなたは個人として独立しているのか、全体の一部に過ぎないのか。世界とは何で、他者とはどんな存在で、大事にしたい愛とは。何を渇望していて、何があると安心できるか。
正しい自分がいるというより、正しい生き方があると言った方が正しい。正しい生き方は決して一通りではないけれど、正しい生き方をしていないとどこかで悩むことになるし、悩んでいるということは自分自身ではいられないことに困っているということでもある。その人がその人であるとき、ある種の満足と解放の感覚がある。他の尺度はどうでもよく、自分が満ち足りていることを感じて、誰のことも羨ましくないような感覚。ジャストサイズの自分の服を着ていると、なんだか無敵になったような気がする。
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その生き方の正しさはその人の内に眠っているとも言えるし、世界のどこかに落ちているとも言える。どちらにせよ、自分の中でも外でもよく見て、それを探すものだ。
とにかく、誰しもに自身のスタイルのようなものがあって、充実している人は皆、自分のスタイルを開花させた人だと言える。環境に恵まれて、特に意識せずに自然と開花していく人もいれば、一生開花せずに終える人もいる。開花の仕方もさまざまで、自然とその人がその人に成っていくこともあれば、突然むくりとその人のらしさが目を覚ますこともある。土を耕して水をやって、時間をかけてやっと花開いたりもする。
開花した人は、どんなに身の回りが大変でも充実しているし、呪いのような愚痴や深いため息を漏らさない。どこかユニークな雰囲気を漂わせていて、前を向いて楽しそうにしている。不思議な感じだ。生きていることにも、自分が自分であることにも悩んでない。自分自身として世界に存在してる。それに納得していて、身の回りの何もかもを受け入れている。他の人になれないことを受け入れて、世界には自分みたいな変な人で溢れていることを知っている。
だから、世界が明日、1年後に滅亡しようが、今の生き方を変えることはないんだと思う。その人のやり方で正しく、この世界の中で存在している。
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翻って、私たちは悩んでいる。今日学校に行くべきか、今の会社で仕事を続けるべきか、恋人への未練を断ち切るべきか。自分自身としてどう存在すべきか分からない。だから悩んでいる訳で、それが分かれば、それがどんな決断だろうが、その後にどんな結果が待っていようが構いはしない。納得できそうな方、後悔のなさそうな方、生きられそうな方はどっちだ?
参考になるかもしれない問い
世界の終わり系
・明日、世界が滅亡するとしたら何をする?
・もし未来永劫、一つのことしかできないとしたら、何をする?どこへ行く?誰と過ごす?
時間を飛び越える系
・10年後、今日を振り返って未来の自分は何と言っているだろうか?過去の自分は今を見て、何と言うだろう?
願望系
・魔法のランプからアラジンが現れたら、3つの願いは何を選ぶ?(願いを増やすことだけはできない)
・羨ましいと思う人はいるか?その人といまの自分の違いは?
・もはや何も羨ましくないと言えるとき、それはどんな状態か?
じゃあどうする?系
・いま自分の力でどうにかなることは何か?
・自分ではどうにもならないことで悩んでないか?
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自分自身として存在するために、具体的ににできそうなこと。何かを新しく始めるより、何かをやめる方が簡単そうな気もしてくる。
休むこと。規則正しい生活を送ること。よく食べること。寝ること。体を動かすこと。ヨガすること。瞑想すること。日記を書くこと。部活を辞めること。本を読むこと。映画を観に行くこと。考えうる限り、思いきり楽しいことすること。SNSで投稿してみること。人に連絡をとってみること。年上の人に会ってみること。旅行すること。海外に行ってみること。バイトを始めること。引っ越すこと。会社を辞めること。転職すること。元恋人を想い続けること。新しい恋人を探すこと。一つ上の贅沢を一日だけしてみること。出来ることは思ってるよりたくさんある。
もちろん、何もできなくて、悲しむしかない時もある。悲しむべき時もある。ひとしきり悲しんだ後に、それでも悩んでいるなら、自分が大事にすべきものを大事に出来てないんだと思う。
あなただったら力を振るう職場が正しくない可能性があるし、俺だったら愛する人と生きていきたいと願い続けるのが正しいんだと思う。誰しもに、それぞれの正しい生き方があるし、正しく生きないといけないんだと思う。俺は正しく生きたいと思ったし、あなたもそうであって欲しいと思った。
p.s.
ドイツでダンスやヨガの先生、劇場で演者やコレオグラファーをやりたいとロシアから来た友人のエルネストが、俺たちはやっと、ドイツ語の語学学校を卒業して、自分たちがやりたいと思ったことを、やりたいと思った場所で始めるんだね、と言っていて、ああ、おれたちは開花するんだなと思った。開花しようとしているんだなと思った。これはすごく怖いことだけれど、長年望んできたことでもある。
会社で働きながら毎朝辞めたいと憂鬱だった時、山陽線で『水中の哲学者たち』を読んでぼろぼろ泣いた時、銭湯から上がって『ブルーピリオド』で勇気をもらって、奮い立って泣く時、そうやって悩みながら願ってきたような気がする。このままじゃいけない、哲学者になりたいとずっと願っていたような気がする。
開花することは願いが叶うことで、俺で言えば、哲学で社会と関係を結んで、哲学者として生きていくことだし、バックグラウンドの全然違う人たちに気持ちよく紛れて、変な人として自由に振る舞っていることなんだと思った。哲学の仕事と余暇のバレーボールに没入して、街ゆく人とのスモールトークや友人との一時を楽しんで、好きな人と一緒にいたいと思った。愛する人と一緒にいられたら申し分ない。
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悩んでるってことは、願っていることの裏返しでもある。願いもないのに、悩んだりしない。悩んでる人は、すでに何かを願っている人だ。違和感は自分が何者かを示す一つのサインであると言えるし、悩みによって、自分の願いが浮き彫りになるとも言える。
願いを叶えることが開花することだとするなら、悩んでいる時から、すでに開花は始まっている。人は悩む時、実は願っていて、願うとき人は実は開花を始めている。開花して春が来た時に、2024年の夏を思い出して話したいと思った。たぶんその時は、あなたは会社を辞めているんだろうな。俺は哲学者になってるといい。
最後に、願いを書いておきます。あなたの願いも教えてください。
・ドイツ語ペラペラになって、ウィーンで自由に動けますように
・哲学を仕事にして、時間を忘れて働けますように
・バレーボールをして、チームメイトとハイタッチできますように
・愛する人と暮らして、その人と家族になれますように
(おわり)
最後まで読んでくれてありがとう〜〜!