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労働日記|夏がもうすぐ来る
海が好きだ。海にも色々あるのだなと最近思う。小さい頃は、海!夏!BBQ!ビーチ!みたいなものが海だと思っていた。まだ海への理解が浅く、解像度が低かった。荒いガサガサの画像みたいな理解度。海辺は水着を纏ったパリピ陽キャ達の縄張りで、そこにたまに楽しませてもらいに混ざる。そういう場所だと思っていた。
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大学三年生の正月に、好きな人に誘われて鵠沼海岸に行った。冬だというのにサーファーとバレーボーラーで賑わっていた。混ざりたいなと思った。異物としてではなく、肩を並べて同等の何かとしてそこに入りたいと思った。
湘南の海岸は隔てるものがなく、海らしい海だった。広すぎて怖いくらいだった。そこにあるだけで雄々しく、美しく、どれだけ人がいようと、海はただそこにあるだけなのだという事実。それにとても落ち着いた。
それ以来、海には尊敬と信頼の念があり、惹かれながらも畏れ多さも感じていた。だって怖いじゃん。一方、瀬戸内海は親しみで溢れているようであった。島々が顔を出し、橋で繋がれていた。柔らかい明かりと穏やかな波がやわらかさを演出していて、ほっと安心するような、大丈夫だと迎え入れてくれるような、そういうあたたかさがあった。こういう海もいい。しまなみサイクリングロード、いつか走り切りたいな。
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ここで、世間知らずだなと言われるようになって一年、未だに言われ続けているのだけれど、自分が中学一年生以来、一つの海で過ごしてきたことを知った。彼らも一つの海で過ごしてきたのだから、俺が慣れ親しんでいた海は世間ではなかったようである。
いや、彼らはこの狭い業界で空の青さを見たのかもしれない。社会のどうしようもない力関係とか、細かい階層とヒエラルキー、そういうのを目の当たりにしたのかもしれない。俺はそんな荒波はこの世界に存在しないかのように生きてきた。差し迫った生活とか、汗水流して稼いだ泥臭さとか。俺は穏やかな海だけを見て、慣れ親しんだ波打ち際でずっと遊んでいたいと思っていた。
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探している。海を探している。足が攣るくらい力いっぱい泳いでいられる海を。溺れるかもしれなくていいから、あたたかい海であって欲しい。瀬戸内海のようなやわらかさがあるといい。出来ればサメはいないで欲しい。
この夏はどうやら友達に会えそうだと、再会が現実味を帯びてきて、思わずにやけてしまう。身なりを整えないとなと、あわあわしてる。この一年、人と顔を合わせることなんてなかったから、何も持っていないの。服も靴も鞄も香水も。大丈夫だろうか。社会人になった友人達に負けないように、取り繕わなきゃなと焦りながら、これもまた人生の喜びであったなと噛み締めている。
会ってみたらどうなるのか自分でもわからないし、会った後どういう心持ちになるのかもわからない。瑞々しく自分自身を取り戻す予感がして、楽しみである。彼らにとっては友達の一人に会うだけだろうけど、一年間も誰とも会っていなかった俺にとって再会の喜びは計り知れない。
この世界にはどんな海があって、自分はどんな海が好きで、肌に合っているか、まだ知らないのだと思った。いや忘れていると言った方がいいかもしれない。夏が終わる頃には思い出せるといいな、皆と会う中で何か手がかりが掴めたらな、と少し期待もしている。
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