レビュー|コンビニ人間 2022.11
古倉恵子という人の話をどう消化していいかわからない。ホラー小説じゃん、と時折思ったけど、それだけ終わらせてしまえるものでもない気がして。全体を通して彼女の”異常性”が目立つけれど、彼女はコンビニに対して敬虔と言っていい程ひたむきに向き合っている。卓越生とは実に多彩である。彼女を見ていてもそう思う。「コンビニの声が聞こえる」という最後のシーンに少し奮い立った。これまでの経験が、直観となってビリビリ体を走る。天啓となって聞こえてくるというのは体感としてそうであるということであって、コンビニがどうあるべきか手にとるように分かるというのは、これまでの経験と思考によるものに違いない。
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”異常性”を括弧で括らずにはいられなかったのは、「彼女が異常な人間である」とレッテルを貼ること自体が間違っているのでは?とこの小説は言っているような気がするからだ。多くの人はこういう考えを持っているだとか、この場面で多くの人はこういう気持ちになるというような知識を常識と呼ぶのなら、彼女には常識がない。空気を読む術を知らない。それを異常と呼んでいいのか、という議論には今日は立ち入らない。それは私にはまだわからない。
立ち入りたいのは、学校を卒業して社会の役に立つことで”普通の人間”になると私は考えていることだ。その指標は稼ぎがあるか、もしくは所帯を持っているか、本で端的に示されている所の、就職と結婚である。だから、「え?大学やめて何もしてないの?」と素でびっくりしてしまうし、「仕事せずに親の脛を齧ってるのは、ねえ」と怪訝な顔したりしてしまう。どうして、そんな反応をしてしまうのかと突き詰めていけば、「社会の役に立っていない=異常」という等式に辿り着く。白羽くんが声を大にして叫んでいたことだ。この等式は、”普通”な大人たちの言動によって、子供の頃からずっと聞かされ、身に染みついてしまった価値観だろう。
社会とはそういうものであるのかな。役に立たないことは許せないんだろうか。白羽くんを取り巻く人たちは彼のことを叱ったり、裁いたりしようとする。自分達は社会の役に立っている人間であるという高みから彼のことを見ている。かく言う俺も”普通”の人間であり、実生活で古倉さんを見たら「えっ?なんでずっとアルバイト?」って不思議に思うだろうし、白羽さんを見たら気味悪がるだろう。
もっとも身につまされたのは、”普通”ではない人間を見つけると合理化しようと努め、干渉する衝動にも駆られることだ。こちら側の知識を総動員して、あちら側を理解しようと躍起になる。それを「強姦」だと言う白羽くんに大きく頷く。ああ、”普通”と言う尺度を人に押し付けるのってほんとに気味が悪いね、と思う。
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でも、自分の力を楽しそうに社会に贈っている人たちが好きだ。どうしてだろうな。社会の役に立っているから好きなのではなく、のびのびしているように見えるからかな。自給自足でもしない限り、十中八九社会の中で生きていくことになるし、のびのびしてる人は大抵高収入だ。いや、そういう人しか表には出てこないだけで、稼ぎや結婚といった目に見えるステータスがなくても、のびのびしてる人はいるんだろうなとも思う。半沢も栄転の際に言っていた。「そういう人を勝ち組と呼ぶのだと思う」と。コンビニの声が聞こえる古倉さんも全身全霊で自分自身であるように見えた。
その点で、古倉さんと白羽くんは決定的に違う。白羽くんは自分が報われていないことを進歩しておらず不完全なこの世界のせいにして、俺はやれば出来ると自己愛で守りながら、力のある人達と女性を妬み、卑下しようとしている。ああ、なんて不健康なんだろうね、俺はやっぱりニーチェが好きだなとも思った。コンビニ人間を呼んでも考えるのはニーチェのことだなんて。恋かな。