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二人で月に行く。 『サイバーパンク エッジランナーズ』

 なぜ人は、やるべきことをわかっているのにできないんでしょうね。明日からウィーン大学の講義が始まるのに、数年前に沸騰していたNetflix作品『サイバーパンク:エッジランナーズ』の興奮が冷めずに、今これを書いています。ネタバレあるので先に言っておきます。ヘッダー画像は公式HPから。


 10話で構成されるアニメと呼ぶ方が正しいんだろうけど、さながら映画のようで、ウィーンからデリーへのエア‧インディアの飛行機の中で観た映画、『JOKER』と似ているなとも思った。教育も医療も福祉も機能しなくなっている格差社会という設定も、何も失うものがなくなった者が化け物になっていく大筋も。

 序盤で親を失った主人公‧デイヴィッドの父親のような存在だった、メイン、彼の形見である右腕を引き継いだあたりから、デイヴィッドは人間性を目に見える形で蝕まれていく。最後はとうとう、規格外の機械を自分にインストールして、伝説となって散っていく。

 これを見て思うことは二つで、一つは、この作品がディストピア作品であるということ。映画『JOKER』と同じように、社会が機能していないとこうなるんだという一つの答えを示している。社会というより、共同体の中で機能するべきシステムといった方が適切かもしれない。

 学識を身につけ、才能を努力で発掘する教育の仕組みが無償で回ること、それから、怪我を治療する医療と、万が一の時のセーフティネットになる福祉が制度として機能していること、もしそのようなユートピアにデイヴィッドが生まれていたら、物語はつまらないものになっていたかもしれないけれど、幸せだったんじゃないかなと思われる。

 社会問題は大きくてむずかしい。何から手をつけたらいいか、よくわからない。だから、どんな世界を避けたくて、どんな世界を望むのかから考えてみたい。

 治安が守られていて、誰でも教育の機会に恵まれていること。努力が無駄にならないこと。体の健康に気を払っていないと財布の心配をしないといけないくらいの医療制度があって、多くの人が自分の体に気を遣っていること。不慮の事故や不幸があった時、生活が困窮した時のセーフティネットが運用されていること。

 経済とは循環であり、社会とは共同体であり、自分はその一端や一員として生かされていることを実感できて、かつ、心や魂の健康に留意することも当たり前になったら最高だなと思う。

 もう一つは、デイヴィッドが身の丈以上の不自然な力を短期間で習得して、死んでいったこと。最近、ウィーンで生活しようとドイツ語を勉強していて、哲学者になろうとして文献を漁っていて、全然だめだ、と焦ることが多かった。早く身につけないとと焦って、やるべきことが手につかないこともしばしばだった。

 デイヴィッドのように「自分は特別なんだ」と思わずに、『ブルーピリオド』の八虎みたいに、「自分は凡人なんだ」と言い聞かせないといけないと反省した。ただの人なんだと思うから、地道に時間をかけて努力出来る、と思う。

 とにかく、ドイツ語も哲学の素養も、一朝一夕で身につくものではないし、やった分だけしか身につかないなら地道に継続するしかなくて、それは筋トレと似ている。サボるとだめだ、毎日やろう。

 最初に適合した機械、サンディニスタンを時間をかけて馴染ませていくだけでも、デイヴィッドはそこそこ街を牛耳っていたはず。ヒロインのルーシーとも、もう少し時間はかかったかもしれないけれど、一緒に月に行けたかもしれない。生きていればこそ、幸せになれる。

 もう上がらないと思ってから何度かダンベルを上げるように、自然な程度で、毎日少し背伸びするくらいの程度で頑張っていたいと思った。2年後にどうなるとかはひとまず置いておいて、地道に毎日。
 目標は、ドイツ語と英語の学術文献が読めるようになって、ネイティブと自然に話せるようになること。それから、哲学対話をしているときに、西洋哲学史の端々から縦横無尽に議論を引っ張り出して、使えるようになること。

 これから二年間、英語・ドイツ語と哲学のトレーニングを毎日やると、ここで宣言します。亡きデイヴィッドに、サンディニスタンを自在に操って、二人で月に行く世界線もあるんだと見せてあげたい。見ててデイヴィッド、俺頑張るからさ。


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建内 亮太
最後まで読んでくれてありがとう〜〜!